祈り、あるいは幻影への追従 ③

嫌悪すべきもの。それはもちろん、画面の揺れなどではない。いかに過去の技術が未発達で、視る者の健康を害するからと言って、それは決して悪にはならない。


インタビューアーでもない。この若者は記録係に過ぎない。忘れ去られるべき無数の真実、偶然残ったそのうちひとつ。カナタとは本来、結び付けられるはずもなかった存在。


カナタ本人でもない。カナタは《幻影》を使ってぼくたちに嘘をついたのかもしれない、自分をよく見せて、こうして語り継がれられるように。だがたとえそうだとして、カナタが被害者であることに変わりはない。


明らかに嫌悪すべき対象、それはカナタを裏切って、殺した会社だ。いまなお《インターブレイン》を統べているその会社は、カナタの発明した《幻影》の技術を奪った。そのことにカナタが抗議すると、ウイルスを仕込んで脳端末を暴走させ、カナタの呼吸を止めた。


ぼくたちのカナタを。殺されたからこそ、ぼくたちが知ることになったカナタを。


当時のログは残っていない。当然だ。犯罪のログなど、誰も残さない。


だがカナタの最期は、断末魔の苦痛は、《幻影》のカナタを書き換えた。《幻影》の情動、その全方位的な曖昧さの中に一箇所だけ、奇妙なリアリティが宿る場所があることにぼくは気づいていた。呼吸の止まる苦しみ、遠のく意識にこだまする絶望。


きっと、これだけは本物だろう。他のすべてが、創作にすぎなかったとしても。


映像が終わる。求めていた答えが得られないことにようやく気付いたインタビューアーが、録画を停止したのだ。緊張が解け、ぼくは息を止めていた自分に気づく。


ぼくは立ち上がりかけ、慌てて座りなおす。おそらく誰にも見られていないと分かっていても、自分だけ先に立つのは気分が悪い。時折忘れそうになることだが、参列客はなにも、全員がカナタの映像を見ているわけではないのだ。それぞれの担当する故人を、思い思いに偲んでいる。


沈黙、そして暗闇。視神経チャネルが視界を照らし続ける現代において、こんな静謐な環境はなかなかない。いや、虚無に身を投じることは、望めばいつでもできる。チャネルを切って、聴覚を遮断すればいいのだ。


だが、誰もわざわざそんなことはしない。する必要がないから。

 

わずかな音が暗闇を横切る。おそらくは衣擦れの音。カットされない、原初のノイズ。現代では聞くことのない音、空気の振動の物理的実体。


この静寂は演出だ。四百年前の世界に近づけるための。各々が過去を振り返り、悲しみを思い返すための。そのために、この場所ではチャネルが遮断されている。ここにいる限り、物理的実体のない光が、ぼくたちの視界を照らすことはない。ぼくたちの生きる現代は、この場所に顔を出さない。


カナタを偲ぶための環境。カナタを含む、すべての犠牲者の追悼のための環境。カナタがこんなものを望んだのかは分からない。《幻影》に聞いてもはぐらかされる。


でもきっと、望まないはずだ。カナタは技術が好きだったから。すくなくとも、ぼくが知っているカナタは。《幻影》や遺影の中のカナタが、本物のカナタの現身だったのなら。