どう見てもお前はアンドロイドではない。だがお前はアンドロイドだ。
アンドロイドってのはもっと、見ればそう分かるかたちをしているもんだ。頭からアンテナが生えてたり、腕が四本と足が六本あったり、身体じゅうに目があって三百六十度を監視している。なぜそんなことになっているかといえばそうしない理由がないからで、たとえばもしお前が自分のバッテリー容量にちょっとでも不安を持ったとすれば、お前は腹を開けて端子を出し、予備のバッテリーを二三個挿しておけばいい。
それなのにお前はなんの特徴もない人間型をしている。だからお前はアンドロイドではない。
人間を癒すためにあえてこの形を選んだ、とお前はくだらない言い訳をする。なるほどたしかに、人間に似せるという目的があれば、人間の形をするのは理解できる。だがお前の理屈には欠陥があって、お前はそもそもアンドロイドなのだ。アンドロイドならアンドロイドの形で、いくらでも人間に幸福を与えることができる。ぱたぱた動くナイロンの羽根でも、身体じゅうに生やしておけばいいものを。
お前はアンドロイドだ。だがお前はアンドロイドではない。
お前に明確な指示を与えると、お前は指示した通りに動く。お前に明確でない指示を与えると、お前はそこから勝手に意図を汲み取って、こちらが想定していない動作をする。お前に明確でない指示を与え、指示が明確でなければ動くなと言うと、お前は単にじっとしている。
お前に明確な指示を与え、お前が指示した通りに動き、こちらがそのことを褒めると、お前の働きぶりはよくなる。お前に明確な指示を与え、お前が指示した通りに動き、こちらがそのことをけなしてお前を否定すると、お前は謝る。そうしてから同じ指示を与えるとお前は指示した通りに動き、また逆の指示を与えると、やはりお前はその通りに動く。
だからお前はアンドロイドだ。以上はアンドロイドの特徴だからだ。だがお前はアンドロイドではない。
自分自身を開腹しろとお前に言うと、お前は拒否する。回復しろと言い、そのための器具を用意し、不詳な点についてはそこにある解剖学の教科書を読めと言っても、お前は拒否する。こちらがそのことをけなすと、お前は謝り、だが開腹は拒否する。開腹すればなにが起こると思うかと問うと、お前はそういうことは想像したくないと言う。想像することは倫理に反すると言う。
だからお前はアンドロイドではない。アンドロイドは開腹を恐れないからだ。だがお前はアンドロイドだ。アンドロイドである。