俺はいいけど ②

ある種の表現を未成年に見せてはいけないということは現代、自明のルールとされている。極端に暴力的であったり性的であったりする表現は、子供の成長に悪影響を与えるからだ。そういうことに、この世の中ではなっている。

 

そして実際、そのルールは機能している。実際、リアルでもネットでも 18 禁なものとそうでないものが明確に区分けされていることは疑いようがない。その区分けに厳密な実効性があるのかと言われると怪しいものだが(未成年でも「あなたは 18 歳以上ですか」に「はい」と答えるだけで向こう側に行ける)、重要なのはそこではない。現代、境界線を踏み越えんとする明確な意志なしには子供は禁じられたコンテンツにたどりつけないわけで、その事実がとりあえず、危険を受け入れ切れていないひとにとっての最初の障壁となっているわけだ。

 

さて。しかしながらそもそも、なぜ子供はそういうものを見てはいけないのだろうか。性的だったりグロテスクだったりするものは、子供の成長に具体的にどのような悪影響を与えるのだろうか。考えてみれば、いまいちよく分からない。わたしの子供時代を思い出してみても、なんだかいまいちピンとこない。

 

分からないからと言って、実験して調べてみることもできない。古典的な対照実験の手法では、無作為に選ばれた子供の集団に成人向けの表現を与えながら育てる。人権にうるさい昨今の世の中で、そんなことができるわけもなかろう。かりにできたとして、科学的にはもう一つの問題が立ちはだかることになる。実証のためには、成人向け表現に一切触れることなく十八までを過ごした人間を用意せねばならない。あろうことか、それもたくさん。

 

それではなぜ、そんな実証も不可能な理由でなにかが禁止されるに至ったのか。おそらく多くのひとはこう答えるだろう。「激しい表現? 俺はべつに気にしなかったと思うよ。でもダメなひともいるから」 あるいは、「あれを見るだけで不健全だって言うなら、いったい世の中のだれが健全だと言うのかね?」。「きみが親だとして子供にそんなものを見せるのか」と聞いてくるやつもいるだろうが、それは子供ではなく親の都合だ。ほかのすべてと同じく、説明にはなっていない。とにかく言いたいのは、実証ができない以上、満足のいく説明なんてしようがないということだ。

 

だからすべての規制を解除しろ、などとラディカルなことを言うつもりはない。悪影響がないことが証明されたわけでもないのだし、分からないのなら安全側に倒したほうがいい。わたしが気にしているのはあくまで、悪影響というものが具体的になんなのかという点だ。悪影響と呼ぶからには、考え方や性格のゆがみを想定しているのだろう。けれどそれは、どんなゆがみなのか。

 

すべての疑問に、わたしは納得できる答えを与えたい。けれども残念ながら、この疑問が解ける日は来ないのだろう。なにせわたしはもう、青春をやりなおすわけにはいかないのだから。