システムハック失敗

次の進路を決めるためにはどうやら、面接ってものを切り抜けなきゃいけないらしい。これまでそういうことは全部試験で乗り切ってきたから、あんまり勝手が分からない。人間性を見られるんだってよく聞くけど、人間性ってなんのことだろう。すくなくとも、数値化はできないものなんだろうけど。そんなよく分からないもので評価されるってのは、正直、想像するだけで不安。

 

まあでも、そうなってるものはしょうがない。たった数回おしゃべりするだけで候補者の人となりが分かるだなんてそんな簡単な話があるわけないけど、それでもなぜか、面接っていうシステムはずっと生き延びてる。生き延びてるんだから、従わなきゃいけない。生き延びるべきシステムだったかどうかにはもちろん疑う余地があるけど、それは候補者が考えることじゃない。

 

というわけで。面接で聞かれることには傾向がある。だから面接に通りたいなら、どんな質問が来るかを予想して、答えを用意しておかなきゃならない。すべての質問に……ってわけにはいかないけど、とりあえず、しゃべることをいくつかは用意しておく。で、その答えを、あたかも自分が本当に思っていることかのように、自信を持って語れるようにしておく。面接のための方便だろうが、語ってしまえばこっちのもんだ。

 

だから面接は意味がないと、昔のわたしは思ってた。だって、そうじゃない。候補者がいくらでも嘘をついてくるなら、どうしてそんなもので人間を判断できるの? 思ってもないことを口にして、それで合格を勝ち取って、いざ入ってみたらぜんぜん違う人間でした。そんなことが、きっといくらでも起こっちゃうんじゃないの?

 

でも。いざ真剣に向き合ってみると、あんまりそんなことはなさそうだった。残念なことに、わたしにとってはあんまり、面接は欠陥システムじゃない。

 

嘘をつくって行為はそれなりにむずかしい。というか、わたしは苦手。自分が信じていることならいくらでも語ってみせられるけど、そうじゃないことだとなかなかうまくできない。いまにもばれるんじゃないか、見透かされるんじゃないかって思って、不安になる。嘘だって堂々と語ってしまえば本当になるはずなのに、なかなかそうできない。つくづく、下手くそだなぁって思う。でもうまくなりたくても、訓練する場もない。

 

だから結局わたしは、正直に語るしかないってことになる。嘘をつく権利があるのに、それを使う能力がないから。これはハンデだけど、わたしのせいだから仕方がない。嘘をつけることだって実力のうちだから。わたしに実力がないのであれば、そこは捨てて勝負するしかないわけだ。

 

となると。わたしみたいな人間を選考するのにあたっては、面接ってのは案外、悪くないシステムなのかもしれない。