全部ぶっ壊して、最初から作り直す

いろいろなところにボロが出て、修繕に追われ続けて、新しい機能などなにひとつ付け加えられない。なにがどうなっているのか分からなくなって、ほんの少しの作業にも、いちいち詳しいひとを引っ張り出さなければならない。すべてがめちゃくちゃなのになぜか動いていて、どの作業が必要なのかだれにもわからなくて、どう考えても不必要に見えるところを切り捨てたら、全然関係のないところで問題が起きる。そんなことがもし、身の回りで起きたら。

 

ノー。きみは待ちすぎた。そんなことが起こる前に、全部ぶっ壊して作り直せ。

 

塞いでも塞いでもあふれ出す水を、無益にも止めようと試みるんじゃない。いまある水はたしかにもったいないけれど、水なんてあとでいくらでも手に入るじゃないか。まずは容器をぶっ壊して、あたりをびちゃびちゃに汚して、そしてひとしきり掃除をしてから、新しい入れ物を作るんだ。

 

まっさらな土地に、まっさらな建物を。そうすれば今までのごみとは、完全におさらばできる。

 

わたしはソフトウェアエンジニアではないけれど、彼らがそういう考え方をするということは知っている。彼らがきっとソフトウェア以外のものにも、同じ考え方を適用したくてたまらないことを。すくなくとも、わたしはそれに同意する。いまあるめちゃくちゃに目を向けるより、己の中の理想と真摯に向き合え。そしてその理想のシステムを、現実世界に実現するのだ!

 

ぶっ壊して、作り直せ。それはすべてのものに適用できる考え方だ。老朽化した機械? 捨てろ。旧式のスマートフォン? 買い替えろ。専門家にしかわからない、肥大化した税金のシステム? 全部ぶっ壊して、すべてを新しく定義して、完璧に連続的な曲線を引くのだ。 社会そのもの? 未来をどうすればいいかは知らないが、とにかく革命が必要だ!

 

もっとも社会を破壊するのは、機械を壊すのに比べてちょっとばかり難しい。ゴルフクラブで殴りつけるとかデータを全部消すコマンドを打ち込むとかそういう暴力では、社会の均衡作用には敵わない。なるほど複雑怪奇な割によくできたシステムで、いろいろなところにボロが出ているのに、肝心の社会の中核構造は、すべての攻撃をかわしながらのらりくらりと生き延び続けるわけだ。人間ひとりの力でできることはたかが知れていて、だから社会をリファクタするには、より大きな力が必要になる。たくさんの人間か、あるいは上位存在の力が。

 

上位存在によって社会が書き換えられるさまを、ここ数年わたしたちは見ている。それは社会の少なくない部分を破壊し、新しい行動様式を作り、そしていまだ去らぬまでも、不可逆な変更を残すことは確実だ。いくつかのものは衰退し、そのなかには生きるべきだったものと死すべきだったものが混在し、そして新しいもののほとんどは現状、間違いなく生まれるべきだったものだ。社会は壊されて作り直され、そしてトータルで見れば……わたしは、なかなかにいいリファクタだったと思う。

 

こういう破壊がいくつも重なるとたぶん、社会は再起不能になる。だが社会そのものが再帰可能なレベルの破壊なら、人類は対応できるわけだ。新しいものを作ることによって。とうに滅ぶべきであったいくつかのものに、正しく弔いを告げることによって。そして滅ぶべきでなかったいくつかのものとの別れを、惜しみながらも受け入れて。

 

上位存在はそうして、わたしたち自身を用いることで、わたしたちの世界を書き換えるのだ。