空を飛んだ夢

夢の中で、わたしは空を飛べる。

 

飛べると言っても、そう高いところへと上がれるわけではない。地面から浮き上がれるのは、どんなにいっても二メートルやそこらだ。距離だって長く飛べるわけではなく、せいぜい数十メートルの直線を、地面に触れずに進めるだけだ。

 

正確を期するならば、わたしがやっていると睡眠時の脳が感じているものは、飛行というよりは滑空かもしれない。ただ空気に乗って、短い距離を進むだけ。純粋な滑空と異なるのは、わたしが必要な最初の位置エネルギーを、自らの両足の運動エネルギーを変換することによって確保している点だけだ。

 

夢の世界にだって物理法則はあるから、わたしの飛行体験はそれほど自由ではない。現実世界での幅跳び以上のなにかができるかは、そのときの気流の調子にかかっている。夢の中でも両腕は変わらず両腕だから、羽ばたいても上昇できることは決してない。さらにいえば、わたしは飛行中、カーブを曲がることができない――それに必要な垂直抗力がないのだから、当たり前だ。だから夢の中で、わたしはよく壁にぶつかっている。

 

考えてみればわたしの夢の世界は、地球上ではないどこかの物理に従っているようだ。布団の中にいながらわたしの脳だけが訪れるその天体は、地球とよく似通っているものの、重力はかなり小さい。なるほどその物理概念はなかなかに的を射ていて、カーブを曲がれないことだとか一定以上に飛びあがれないことだとかは、すべて低重力で説明がついてしまう。宇宙のどこかに存在しうるという意味でその世界はあまりに自然だから、幾度となく飛行を体験したいま、空中をまっすぐに滑る感覚に、わたしはすっかり慣れ切ってしまっている。およそ現実に存在し、何度も体験した感覚として。

 

さて。だがきわめて非直感的なことに、わたしは現実において、そんな世界を一度たりとも経験していないのである。

 

わたしは宇宙飛行士ではないし、宇宙飛行の訓練を受けたこともない。だから浮き上がれるほどの低重力の世界を、わたしは体験したことがないはずだ。これまでに立位で体験したことのあるいちばんの低重力といえば……おそらくみなさんと同様、降下方向に加速する高速エレベーターだろう。それに匹敵するものがあるとすれば、上昇方向に減速する高速エレベーターくらいなものだ。

 

というわけで、わたしは極低重力の世界を、みずからの体験によらずに夢に見ている。その世界を見せているのははたして宇宙飛行士の映像か、あるいは純粋な物理学的知識からの演繹か。どちらにせよ、わたしの無意識の想像力が働いていることは事実である――物理的におそらく正当な世界をかたちづくる、無矛盾な想像力が。

 

飛行する夢の中で、わたしは夢を現実だと思っている。夢だとわかる夢を見ることはあるが、飛ぶ夢はそうではない。そして現実に帰ってきても、その現実味は薄れない。現実に関する知識に照らし合わせても、矛盾は発生しないからだ。

 

わたしは夢で、空を飛んだことがある。その滑るような感覚を知っている。それが現実に起こりうる現象だともまた、知っている。

 

それならば。本当に飛んだことがあると言っても、あながち誤りではあるまい。