輪講第一回 ③

喩えるなら、研究とは稲妻だ。

 

地面のはるか上空に浮かんでいる、巨大な電荷を想像してほしい。わたしたちのいる地表面と空には電位差があるから、導線か何かでつなげば、電荷は地面へと移動するはずだ。でも現実には、そんなことは起こらない。空気には巨大な電気抵抗があって、ふつうの状態なら、電荷には移動するための道がない。

 

だが、たまにその巨大な抵抗を超えて、電荷が移動することがある。これが稲妻だ。実際には、普段の空気の抵抗を超えるほどの巨大な電圧がかかるわけではない。わたしの専門ではないから詳しくはないが、たしか空気に絶縁破壊という現象が起こって、電気抵抗が急激に降下する。そこが、電気の通り道になる。

 

これがだいたい、研究のやっていることだ。電荷を目標に、地面を現状に置き換えて考えてほしい。

 

研究には巨大な目標がある。高度過ぎてとても、人類には手が届かない目標だ。目標は難しければ何でもいい――不老不死でもいいし、世界平和でもいいし、誰もが働かずに暮らせる世界でもいい。実際には目標はもうすこし具体的で、なにかの原理を言い当てる完全な法則を導くとか、有名な未解決問題を解くとか、ガンの特効薬をつくるとかそういうやつだ。時代をさかのぼれば、空を飛ぶとか遠く離れたひとに一瞬で情報を伝達する打とか、そういうのが目標だった頃もあった。とにかく目標は難しすぎて、現在のわたしたちからすれば、到底到達できそうにない。

 

これが、普段の大気の状態だ。抵抗が大きすぎるから、雷は落ちない。

 

けれどたまに、わたしたちと目標をつなぐ、一本の細い線が見つかることがある。それが、研究成果と呼ばれるものだ。

 

一撃の稲妻がすべての電位差を解放しないように、一本の論文そのものは、目標をまったく解決しない。でもちょっとだけ、解決する。空を飛びたいと願った人類が空を飛べたように、そういうことを積み重ねていけば、いつかは完全に安定した大気がもたらされるかもしれない。その日をわたしたちが見るかはさておき、見る未来を信じて、わたしたちは研究をする。

 

まあ、綺麗ごとではあるけどね。

 

じゃあようやく、最初のテーマに戻ろう。勉強とはなにか。それは、雷の落ちる先だ。

 

雷というものは、どこに落ちるか分からない。分かれば、ひとが巻き込まれて死んだりはしない。でも、全く分からないということもない。知っての通り、雷は高いところに落ちる。

 

勉強して身につく知識とは、そういう高台だ。地球上でいくら土を積み上げたところで雷の発生源には届かないけれど、近くに行くことまではできる。そうすれば雷は、より落ちやすくなる。ピンポイントで落とすことはできないけれど、平地でただ待っているよりは、ずっと成算のある作戦だ。

 

だから。

 

きみたちはこの本を読んで、何の役に立つのかと疑問に思うとおもう。ここから研究を進めようにも、なにを積み上げられるのか見当もつかないと思う。そうして、この分野でできることはすべてやり尽くして、体系は完成したと思うだろう。研究のアイデアなど、まったく湧いてこないだろう。

 

でも、それでいいんだ。

 

この本が何かの役に立つかは、現状分からない。雷が落ちる先は予測できないのだからね。でもたくさん読めば、どこかに雷が落ちる確率は、飛躍的に上がる。

 

そして。たくさん読むためには、一冊ずつ読んでいくしかないんだ。というわけで、担当決めを始めよう。だれがどの高台に立つのか、決めようじゃないか」