遊泳プロシージャ ①

両足が灰色の大地に触れる。だが踏みしめるとまではいかない。身体が浮かんでいるように感じるのは、六分の一の重力のせいか。それとも、はじめて月面に立った彼の、冒険者めいた興奮のあらわれか。

 

乗ってきたシャトルが右手に見える。白い巨躯がまとう噴煙は大地と同じ色で、ゆっくりと舞い上がって悠然と漂っている。

 

見上げれば、青い星。地球。いつも写真で見るのと同じ姿。だが地球から見る月とくらべて、月から見る地球はすさまじく大きい。

 

はじめて宇宙を訪れたとき、彼は十二歳だった。

 

小学校の修学旅行。アームストロング市に二泊するその旅程を、彼は入学時から楽しみにしていた。

 

いや、入学時から、というのは語弊があるかもしれない。月に行きたいから、彼はこの小学校を選んだのだ。修学旅行で南極に行く、隣の小学校と比較して。

 

それほどの興味にもかかわらず、彼がそれまで宇宙を訪れたことがなかったのは、べつに金銭的な理由ではない。一泊二日の月旅行代くらい、二十年前でも大した額ではない。おまけに両親は一流企業に勤めていたから、お金はじゅうぶんにあった。両親ともに、浪費癖もなかった。

 

家庭にも問題はなかった。笑いの堪えない家庭で、たまに喧嘩はするものの、家族仲はすこぶる良いと言って差し支えない。じっさい、年に数回は海外旅行もした。南極やマリアナ海溝も含めて、火星旅行より高価な旅もした。

 

それでも両親は、宇宙に行きたいという幼い息子の希望に応えようとしなかった。

 

なにも意地悪ではない。仕方なかったのだ。両親ともに、宇宙に行けない体質なのだ。

 

両親はひどい無重力酔いの持ち主だった。ひとたび宇宙に出れば、猛烈な吐き気とめまいに襲われてしまう。そうなれば旅行どころではない。ましてや、好奇心旺盛な小学生の息子を監督しなければならないとなれば、なおさらだ。

 

というわけで、誰よりも宇宙が好きな子供は、クラスで唯一、はじめて月面を訪れる子供になった。小さな重力のなか、クラスの皆はより重要な問題について議論していた――たとえば、誰が誰に告白するとか、見回りの先生をどうかわすかとかいったことについて。宇宙に慣れたひとにとって、月面など珍しくもなんともない。

 

だがそんな議論はうわの空で、彼はひとり、はじめて見る頭上の地球に興奮しきっていた。まわりに冷やかされようとも、構わなかった。

 

この事実を、彼に協調性がない、と片づけるのは酷だろう。

 

彼は普通だ。同級生からはぐれようと。女の子からの告白を「いまはそんなことを考えている場合じゃない」と言って突っぱねようと。

 

ただ、単に。

 

おあずけを食らった子供は、これほどまでに純粋に、執着的になれるのである。