遊泳プロシージャ ③

未踏の星。

 

ひとつの星の大地に、はじめて地球人の痕跡を残すこと。それはわくわくすることだと、幼き日の彼は思っていた。だが、いま踏みしめている大地の、地球上よりわずかに大きな重力加速度が、彼の感慨に重石を投げかけることはない。

 

仕事だから、ではない。

 

惑星の選択に裁量がある都合上、仕事の期限はアバウトだ。ふさわしい惑星がはやく見つかれば、あとは何をしていても構わない。

 

ちなみに同業者の中では、地球に帰るひとが多い。次点で多いのは、火星など、観光地として発展した星に乗りつけることだ。あまり好きではない話だが、火星に愛人が住んでいる、という話も普通のことだ。

 

追加の仕事を請け負う勤勉なひともいる。たいていは、複雑な事情でお金が必要な同僚だ。のこりの一握りはいわゆるワーカーホリックで、金を払ってでもアンテナを立てたいと考えている連中だ。中学生の頃の彼は、そんな都合のいい労働者になる未来を夢想していた。だがいまでは、とても無理だと思っている。

 

……星から星へと飛び回るより、ひとつの星を楽しもう。

 

いつしか彼はこうして、宇宙を熱烈に愛せない自分を正当化するようになった。

 

だから彼は、新しい星を訪れたときは、きまってしばらく散策することにしていた。もちろん、危険がない場合に限って、だ。一色の大地を踏み歩きながら、思索に耽る。面白い地形などは……まあ、そんなにない。

 

自己満足にすぎない散歩。いやそもそも、自己満足ですらないかもしれない。

 

しばらく歩いて満足したら、付属の短距離シャトルで赤道面へと向かう。なんらかの理由で北極点にアンテナを立てられなかったとき用の乗り物だが、すこしくらい無駄遣いしてもばれやしない。これは義務、そう言い聞かせて移動する。

 

恒星から浴びる光の量の違いは、生態系がない星でも、地表面の微妙な様相を変えるものだ。星を訪れたというなら、せめて正反対の性質の二か所くらいは見ておくべきだろう。

 

……そう、子供の頃の彼は言うだろう。けっして満足はしないだろうが。

 

宇宙をお預けにされた彼が、宇宙での仕事を選んだのは必然だろう。愛する宇宙と、愛する家族。両立のすべはほかにはない。

 

子供の頃の彼は、すさまじく勉強した。小学校の図書室に通い詰めては、宇宙関連のどんな本だって読んだ。すぐに全部読んでしまって、両親に専門書をねだった。宇宙に行かせてあげられない引け目からか、両親はどんなものでも買ってくれた。

 

中学生にもなると、理科の先生よりも星々に詳しくなった。最近人類が到達した星のリストを追いかけた(その頃はまだ、人類はごく限られた星にしかたどりつけていなかった)。

 

百聞は一見にしかず、とはよく言われる。星の地面を踏むことには、たしかに専門書を超える知的価値があるかもしれない。だが彼の百聞は、百見にも千見にも値する。

 

それほどまでに、彼は星々の地を渇望していた。