遊泳プロシージャ ⑦

実験室の壁は白く、ところどころ煤で汚れていた。純白であるべくしてつくられたはずの背景は、いまでは机の黒にぼかされ、調和している。机のほうもところどころひび割れていて、クリーム色の内部素材が見えている。

 

その机の裏に腰掛けるのは、彼の会社の同僚のひとりだ。宇宙開発部門の彼と違って、同僚は地球にある研究所に勤めている。材料開発をやっているらしいが、宇宙で実働部隊をしているひとには、仕事の中身はさっぱりだ。彼は一度聞いてみたことがあるが、わけのわからない専門用語を一時間にわたって並べ立てられたので、それ以降は単に、アンテナの中身をつくっているひと、という認識をしている。

 

そんな同僚を彼が訊ねたのは、ほかならぬあの惑星の件だった。

 

彼はあのとき、世紀の大発見をしたと信じ込んでいた。金の大鉱脈について公に発表すれば、月が墜落したくらいの大騒ぎになると予想していた。人類は狂喜乱舞、会社は大儲け、そして彼自身は、一躍有名人。

 

だが冷静になってみると、話が出来すぎているように感じた。ひととおり喜んだあと、短距離シャトルで北極に戻りながら、彼は思った。

 

もしかすると、思い違いかもしれない。

 

だから彼は、この驚愕の事実を公にするのは、しかるべき調査を受けてからにしよう、と思った。それゆえに、採取したサンプルを持って、彼を訪ねたのだ。何を期待しているかは、恥ずかしいから言わずにおいた。

 

目の前の同僚は、退屈そうな顔で言った。「分析結果が出たよ」

 

その顔に悪い予感を覚えながらも、彼は訊いた。「で、どうだった」

 

「その前に」同僚は言った。「もしかして、何かを期待してたか?」

 

「期待? どうかな」彼は返した。「先に分析結果を教えてくれよ」

 

「何か隠してるな」

 

「かもしれないな」

 

「言う気がないんなら、いいぜ。だが結果を言ったら、教えてくれ」同僚はひげを掻いた。

 

彼は一瞬、逡巡した。いいよ、と彼が言うのと、同僚が付け加えるのはほぼ同時だった。「あー、そうだ。言わないなら、俺はこの件を言いふらすぞ。どんな恥ずかしい目に遭うかは……あ、失礼。お前はまだ知らないんだったな」

 

「わかった、わかったから早く教えてくれ」彼は無意識に手を揉みしだいた。

 

同僚は言った。「黄鉄鉱だ」

 

「黄鉄鉱?」聞き覚えのない物質だ。知らないだけに、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか判断がつかない。「なんだ、それは?」

 

「黄鉄鉱。鉄と硫黄の化合物だ」

 

理解するのには一瞬を要した。鉄と硫黄。知っている物質。

 

そうか。金じゃ、なかったのか。

 

思ったよりも冷静な自分自身に、彼は内心驚いた。落ち込むと同時に、彼は内心、安心していた。金を見つけた、と言って大騒ぎしなくてよかった。ぬか喜びを、自分の中にとどめておけてよかった。

 

「それでだ」同僚がにやりとして言った。上がりすぎた口角の気味悪さに、彼は不吉なものを感じた。

 

「こいつには古くから別名がある。愚者の黄金。見た目が金に似ているせいで、よく間違える馬鹿がいたらしい」そう言うと、同僚はわざとらしく目を見開いて、血の気の引く彼の顔を満面の笑みで見つめた。

 

「まあ、昔の話だ。まさかこの時代に、見間違える奴なんているわけねぇよなぁ?」