遊泳プロシージャ ②

時は流れて、現在。

 

ある惑星の北極点に、彼は立っている。

 

惑星に通用名はない。地球から発見されたときにつけられた名前はあるが、発見日時と恒星系の名前を組合わせただけの機械的なものだ。だからこの星は、名もなき星だと言ってもいいだろう。辺境の寒村が、名もなき村と呼ばれるように。

 

二百年前なら、これ見よがしに旗でも立てたのかもしれない。地球文明の栄華のしるしを、地球の外に刻み込むことに、それなりの象徴的な価値があった時代だ。だが、いまは二百年前ではない。彼の乗っているのはアポロ十一号ではないし、彼はアームストロング船長ではないのだ。

 

未踏の星にたどり着くことなど、このご時世、珍しくもなんともない。人類が到達したことのある星はごくわずか。おそらく、数億個。近宇宙にある、現行の技術で到達できる星の数とくらべれば、はるかに小さい。

 

アインシュタインの呪縛が破られたのは五十年前だ。光速を超えて移動できる物体がある、そんな当たり前のことに気づくのに、人類は途方もない時間をかけたものである。思い込みの力とは、それほど激しいものなのか。今となっては、よく理解できない話だ。

 

とにかく。呪縛が解けるや否や、超光速移動の技術はまたたく間に進展した。十年もしないうちに、月以外のすべての天体への移動コストが、時間面金銭面ともに大幅に削減された(月に関しては、既存技術による安価な大容量輸送の手法がすでに確立されていた)。他恒星系に設営された基地からの軍事的なリスクが、国連で真面目に議論され始めた。

 

そうして、宇宙は壮大な神秘であることをやめた。むしろどこまでも続く砂漠のようなもの、という説明が一般的になった。ちゃんとした乗り物とエネルギーを使えば、近宇宙のどこへだって行ける。だが、あえて行こうとする奴はなかなかいない。

 

行っても何もないから。何もないことくらい、行かなくても分かっているから。

 

それより面白い旅行先は、太陽系内にいくらでもある。

 

だから彼は、この名もなき惑星の地面を踏んだ、初めての人間になった。

 

もちろん、特別なことではない。初めてでなかったとしたら、むしろそっちのほうがおかしい。純粋な確率の問題。星の数ほどある星の中で、たまたまこの星を選んだ人間が、複数人存在する確率を求めよ。

 

彼個人にとっても、初めての経験ではなかった。星系間通信システムの会社に勤めている以上、誰も訪れたことのない星に訪れるのはよくあることだ。通信システムの強化のため、これまで超電波の弱かった星域にアンテナを建設する。彼ら建設士にとっては、日常的な作業。

 

アンテナを立てられそうな星。気象条件が安定していて、超高温でも超低温でもなく、放射線量が許容範囲内で、そしてアンテナを破壊しそうな生物のいない星。星域の条件の中で、建設士は良さそうな星を、適当に見繕ってアンテナを立てる。星の選択が建設士の判断に任されているのは、他の恒星系から観測したのでは分からない条件があるからだ。

 

とはいえ、多くの星は(彼の体感では、近づいて観測する価値を感じたうちの三つに一つくらいは)、じゅうぶんな条件を満たしている。通信用のアンテナを維持するくらいなら、けっこうどこでもできるものなのだ。住むとなれば話は別だが。

 

そしてこの星も、そんな適切な星のひとつだった。