Re: 例のサイトの話

昨日紹介したサイトは、予想通り盛況なようだ。

 

まあ、そりゃそうである。他人の異常行動は面白いからだ。とりわけその異常性が絶妙に普通で、もしかしたら自分もやってしまうかもしれない類のものだったなら。

 

良心に刺さる一本の棘を感じながらも、努めて明るく異常を嗤う。自分のことを棚に上げ、だが棚の上の自分の視線は、ずっと身体のどこかを見つめ続けている。いつか自分に降り注ぐかもしれない嘲笑。予期される綱渡りの自己弁護。

 

自己批判とはほろ苦きもの。そして同時に、笑いと蔑みに深みを与える最高の隠し味だ。

 

危惧した通り、面白くない連中もたくさん湧いている。昨日寝る前に見たときにはすでに、荒らしかと思えるほどにテンプレート的な武勇伝がいくつか掲載されていた。異常を自称するのはいいが(よくはないが)、するならせめて、オリジナリティくらいは出して欲しいものだ。

 

それはさておき、オリジナルと思われる投稿にも、面白いものとそうでないものがある。初期にあった投稿はすべて面白かったし、だからこそ、わたしは日記で紹介したいと思った。いまある投稿のいくつかは、最初の投稿と同じくらい面白い。だがいくつかは面白くないことも事実だ。

 

はたして、その違いとは。

 

わたしの感性の問題、と言ってしまえば話は単純だが、それでは説明になっていない。初期の投稿者が面白い人間だった、というのも事実だろう。だが面白さを属人性の問題に帰着するのは、あまりにも身も蓋もなさすぎる。

 

違い。面白さとつまらなさ、それぞれの特徴。話を面白くする条件は難しいし、そもそもそんな条件、見つかってしまってはたまらない。ひとには天性の面白さと言うか、何かそういう、一般化して真似しようにも、どうにも真似できないものがある。説明できないし、すべきでもない何か。

 

だが話をつまらなくする方法なら、いくらでも考え付く。反面教師は、そこら中にうようよしているのだ。例のサイトはもちろん、世界のあらゆるところで。バーチャルでも、リアルでも。売れない芸人の一発芸にも、上司や先輩の話にも、あるいはその子供のあどけなさにすらも。

 

まあでも、今回は例のサイトの中にかぎった話をしよう。無駄に話を大きくする必要はない(話をつまらなくする方法のひとつだ)。一般化が必要なら、きみたちのほうで、勝手にやってくれればいい。

 

具体的には。まず第一に、意図された異常性であってはならない。行動した当人にとって、異常さという尺度は理不尽で、理解不能なものでなければならないのだ。求められているのは、単なる異常行動ではない。普通だと思ってやった行動がじつは異常だった、という事例なのだ。

 

やる前から異常だと分かっていて、それでもやった場合。そんな投稿はすでに、いくつかある。だがそのとき、きみに欠如しているのは常識ではない。自制心だ。きみは健常者をエミュレートできなかったのではなく、単に、する意志がなかった。

 

他には。まだいくらでもあるが、続きは明日にしよう。同じものを延々非難しつづけると、文章はダレる。これもまた、話をつまらなくするテクニックのひとつだ。