抽象化偏執

数学的な概念に関して、ウィキペディアで調べごとをしたことはあるだろうか? なければ、そうだな、やってみて欲しい。項目は、数学を専攻しているひとならだれでも聞いたことがあるけれど大学の一年生ではちょっと習わないくらいの、ちょうどいい難易度ものを選ぶんだ。そういうものを、いくつか調べてみて欲しい。

 

そのなかにきみは、理解できるものとそうでないものを見つけたはずだ。ああ、言い忘れていたが、わたしはすくなくともきみに少々の数学的素養があることを仮定して話している。素養と言っても大したことはなく、理系大学で学んでいるくらいで十分なのだが、もしそうでなければ聞かないでくれていい。これからの話は、ある程度の社会的前提を必要とするからね。

 

話を戻そう。きみは一般的な大学生で、数学の期末試験を控えている。大学に行っていなかったかあるいは寝ていたか理由はなんでもいいが、とにかくきみは不真面目だったから、授業の内容をまったく覚えていない。もちろん、ノートも取っていない。教えてくれる友達もいない。

 

きみはどうにか授業の内容を仕入れて、独学で誤魔化そうとする。わからない数学用語でググって、ウィキペディアのページにたどり着く。さっき見つけてもらった、とても理解できないページにだ。きみは不真面目だけど数学的素養はあるから、一目でこう理解する……こんな意味不明な内容を、授業で取り扱ったはずがない。

 

ああいったページはかなりの割合で、高度な数学を使って書かれている。学部で扱うような内容のページなのに、学部の内容では理解できない。授業でやった内容なのだから、理解できるように書くことが不可能なわけがない。それなのにインターネットの集合知はどういうわけか、やたらと難解な文章で説明しようとする。

 

具体的なものを分かりにくいと呼び、抽象的なものを分かりやすいと呼ぶ風潮が数学にはある。いろいろなものを統一的に説明できる枠組みへと概念を落とし込むことで、より理解しやすくなるという信念がある。そんな信仰はもちろん嘘っぱちだ(もしきみが同意しないなら、小学校一年生に足し算を教えるためにまずアーベル群の定義からはじめてみることだ)。けれどなぜだか、広く信じられている考え方ではある。

 

わたしはそれを単純に、迷惑だ、と思う。

 

抽象論より具体論のほうが理解しやすい。数学者以外の全員がそう知っている。具体論でじゅうぶんなところにわざわざ抽象論を持ち込むのは、言ってしまえば衒学的興味だ。不必要な抽象性を導入して、悦に入っているだけ。あるいは、「抽象」と言うと喜ぶひとびとの機嫌を取っているだけ。すべての抽象化がそうとは言わないけれど、多くはきっとそうだ。

 

研究でもおなじことが言える。わたしたちが具体的ななにかに取り込むと、数学者たちはすぐにそれを一般化させようとする。けれどもそれで本当になんらかの理解が深まるのか、わたしは疑問に思う。