親愛の街 ②

目の前に続く道らしきものを、彼はゴーグル越しに眺めた。好き放題に生い茂った下草のせいで、それが道だとはなかなか思いにくい空間だ。頭上の木々は歴史のように絡み合い、ふたつとして同じ形の場所はない。だがどれも奇妙に似通っていて、彼の方向感覚を迷宮に追い込んでいた。

 

実際、演習で見た映像がなければ、彼は進む先を見失っていただろう。だが、これは想定内だ。進む方向は知っている。念のため、彼は《脳裡》に透過式の衛星写真を浮かべて、方角が正しいかどうかをいまいちど確認した。

 

「オーケー。このまま進む」彼はマイクに言った。

 

「誰も通ってないのか」感想を逐一ことばにするのが、彼のルーティンワークなのだ。伝える必要のない情報だから、彼はマイクを切っておいた。いや、伝えたくない不安、と言うべきか。

 

以前にここに派遣された仲間。その顔を、彼は知らない。任務の内容も知らない。上官は教えてくれなかった。俺を任務にふさわしい人材に保つため、というのが、黙っている理由らしい。上官がそう言うのだからそうなのだろう……とは思わないが、上官を疑っても碌なことにはならない。工作員たるもの、従順であるべし。知りすぎては、ただ消されるのみ。

 

だがわかることはある。もし彼らの任務が俺のと同じならば、彼らは失敗したのだ。だって、彼らは最近、ここを行き来していないのだから。

 

彼らはいなくなってしまったのか。まだここにいるのか。それとも、別の出口を見つけたのか。

 

不安が寒風となって彼を駆け抜け、南国の熱気を相殺した。俺の名もまた、その列に加わってしまうかもしれない。ゴーグルの隅に葉が舞い、彼の爪先に落ちた。

 

「いや、名は残らない、か」とつぶやき、彼は短く息をついた。

 

とはいえ、覚悟はずっと前に決めていた。むしろ、進むべき方向が分かっているのは気楽なことだった。この先とて油断ならないが、これから排すべき油断は、ここにたどり着くために排すべきだった油断とは少々異なる。

 

だから彼は深く考えず、任務に集中することにした。ここが道らしくないのは単に、南国の植物の成長が、すぐさま道を覆い隠すほどに速いだけなのかもしれない。

 

ニューギニア島の山岳地帯。幾重もの山肌と密林とを踏み越えた先にあるその街に、われわれが通常用いる意味での名前はない。

 

孤立した街。閉じたコミュニティ。名前という概念が、なにかとなにかを区別するために存在するならば、この街に比較相手はいない。ここではこの街こそが、世界のすべてだ。

 

この島特有の、完全なる孤立語。いかにしてそれを調査したのか、俺には分からない。きっと多くの犠牲があったことだろう。とにかくその言語の中に、街をあらわす単語は見当たらなかったらしい。神秘的なほどに、この街が孤立している証拠だ。