カンニバル食堂 30

うぐぅ」「きゃっ」 ふたりは衝突し、それぞれの悲鳴が床下に響いた。

 

「離せって言っただろ!」 ステファンはキャサリンをはねのけた。彼女の身体はステファンの上半身を真逆の向きでしっかりと覆っており、脇に転がすのにはそれなりの筋力を要した。右手の拘束は、キャサリンの腕が地面をたたいた拍子に、鈍い音とともに解けていた。

 

それでもなんとか立ち上がると、ステファンはコンベアを進行方向に駆けた。「危ないだろ!」 そう言いながら、ステファンは何度も転んだ。疲労と興奮と激痛のあまり、彼はもはや、何のために逃げているのか忘れかけていた。

 

何のために、ここに来たのかを。何のために、戦っているのかを。

 

ふと、奇妙で、支離滅裂な思考がステファンの脳を襲った。肉人たちは、自分がどこにいて、何をさせられているのかを知らない。何のために生きているのかを知らない、そしてそもそも、生きているとはどういうことなのかを知らない。

 

奴らを定義するのは、あくまで純粋な肉体性だ。奴らが、精神を持たないゆえに。

 

「それは、わたしだって同じじゃないか?」 ステファンは声に出さずにつぶやいた。わたしは逃げている、何のために逃げているのかもわからないままに。こうして息を切らしているが、その先にあるのは、わたしの肉体が収まるための、変わり映えのしない空間だけだ。

 

わたしの精神がそう分かっているのに、ではどうしてわたしの肉体は逃げるのをやめないのか? それは、わたしの本質が、肉体にあるからではないか?

 

「待っ……て!」 後方の声に、ステファンは振り返った。見るとキャサリンが、ステファンを追いかけてきていた。先ほどの落下の衝撃からか、その足取りはよろよろとふらつき、危うかった。

 

……すくなくとも、ステファンの揺れる視線からはそう見えた。

 

「来るな!」 ステファンは速度を上げようとし、コンベアの分岐に転倒した。その間にも、キャサリンの姿はよろよろと、肉人のように迫ってきていた。肉人はひとりならこわくない――だが、それは逃げる側が元気な場合に限る。

 

「なぜ……逃げるの?」 うなされたような、キャサリンの声。肉人が声を持ったかのような。話の通じそうで通じない、ホラーの怪物のような。

 

「逃げるだろ!」 ステファンは言い返したが、なぜ逃げるのかは分かっていなかった。「……お前が、その……敵だからだよ!」 味方と敵とを分かつように、天井のライトが不気味に点灯し、そして消灯した。

 

「違……うの」 キャサリンは言い、ふらついた。「待って……違うの……」

 

「違わないだろ!」 ステファンはまた転んだ。

 

「待って……お願いだから……待って……」 キャサリンはつぶやき、その場に倒れた。まっすぐな金髪が無造作に床に散らばった。「敵じゃ……ないの……」

 

「は?」 ステファンは振り向いた。「敵じゃないだと? 追ってきておいて?」 コンベアの分岐が迫り、ステファンは片方を選んだ。もしキャサリンがしばらく起き上がらず、そして別の方向へ流されたのなら、ステファンは逃げ切れるだろう。

 

「そう……なの」 キャサリンは嘆願するような声を上げた。その身体はちょうどコンベアの中央にあり、分岐への差し掛かり方と摩擦によっては、ありえない角度に曲げられてしまうように思えた。

 

「早く立って、追うのをやめろ!」 ステファンは叫んだ。「わたしを自由にしろ、そしてお前自身も!」

 

だがキャサリンは懇願をやめなかった。かわりに、キャサリンは、ほとんど消え入りそうな声で言った。「助けて……敵じゃ……ないの。だから……たすけて。一緒に……行かせて」

 

「どういうことだ?」 ステファンは振り返った。

 

キャサリンは残るすべての力で、ステファンへと声を絞り出した。「……わたしも。わたしも……あいつらに閉じ込められたのよ」