背徳の少女 ⑧

「チェルーダを守り続けた《少女》の軍が、こんなにもたくさん待機しているのよ」

 

そう言い残すと、オムニカはヴァーラに背を向けて窓へと歩いた。足取りに揺れるドレスの裾ははかなげで、そしてだからこそ、オムニカの勝利を優雅に示していた。オムニカの俯きから、ヴァーラはひとつの意志を読み取った。あとは、わかるでしょう。自分で考えなさい。

 

混乱を正すため、ヴァーラはみずからの頬を叩いた――そして、それができることに驚いた。オムニカはすでに、ヴァーラの身体の自由を解除していた。ヴァーラが立ち上がると、コードに引っ張られた胸の端子に小さく不規則な電流が流れた。そのすべてを関知しておきながら、オムニカは窓から街を眺めて微動だにしなかった。

 

ヴァーラの軍がひとり、またひとりと、隊列を崩していった。

 

ヴァーラは端子を抜いたが、すぐに戦うつもりはなかった。いまは、状況を理解するのが先決。敵の土俵では、確信がつかめるまではおとなしくしていろ――ロバーキに捕まった二番目の姉の苦々しい敗北の記憶が、コードの抜けた端子から訴えかけてきた。

 

ヴァーラは裾を正すと、考えはじめた。「どうして危険なものですか」――いままさに街に攻め込んでいる、その指揮官の目の前で、そうオムニカは言った。そうしていまも、ただ静かに眺めている。ヴァーラの軍が、完全に占拠した街を。

 

だが考えてみれば、いまオムニカが動かないのは合理的だった。眼下の軍は暇を持て余しているだけで、衝突らしきものはいっさい見当たらなかった。街の平和は、しっかりと保たれている。

 

そして街が平和なら、《少女》が介入する必要はない。

 

だが平和なのは、あくまで結果の話だ。いくらヴァーラの軍が乱暴を働かない可能性があるからといって、それは侵略者を警戒しなくていい理由にはならない。それなのにオムニカは、じぶんの軍を全部荒野に派遣して、街をヴァーラのなすがままにさせた。

 

やろうと思えば、ヴァーラは街を破壊できたかもしれないのに。

 

わからないときは、整理せよ。歴戦の指揮官はそうみずからに言い聞かせて、オムニカの作戦をひとつずつ検証した。オムニカは全軍を街から出し、わたしの街を攻撃させた。だがそれは陽動で、釣られたヴァーラはほとんど全軍をチェルーダの街に差し向けた。いっぽうオムニカ自身は、こっそりと塔に潜んで、わたしが機械に接続するのを待っていた。なるほどたしかに、作戦は成功だ。

 

だが成功した作戦は、かならずしも良い作戦を意味しない。ナーダがロバーキの中隊をまるごと滅ぼしても、その結果だけで、ナーダをよい指揮官だとは呼べないのだ。そして今回の作戦には、根本的な矛盾があった。ヴァーラの街への攻撃が陽動なら、オムニカはこうなることを完璧に予期していたことになる。だがそれは、戦力で大幅に勝る相手への戦略として、少々大胆すぎはしないだろうか?

 

すなわち、オムニカの予測は、もはや予測などというレベルではありえない。

オムニカは、完全に知っていたのだ。ヴァーラは攻めてきて、なおかつ街を荒らさないと。

 

なぜ知っていたのだろう? ヴァーラに思い当たる節はなかったが、知るための方法はいくらでも思いついた。たとえば、ヴァーラの軍には内通者がいた。あるいは、オムニカみずからが飛んできて、ヴァーラの陣をひそかに観察していた。もしかすると、わたしの兵がチェルーダを愛する気持ちを、わたしが思っている以上にオムニカは理解しているのかもしれない。

 

ヴァーラには、どれとも判断がつかなかった。そして、根拠の存在ないことはあれこれ推論すべきではない。だから、ヴァーラは考えないことにした。それよりは、別のことを考えた方が建設的だ。

 

そう、知っているとして、ではなぜこの作戦だったのだろうか?

 

接続先を失った機械のライトが消え、部屋がわずかに暗くなった。その暗さが、オムニカのドレスと夜空の境界をわずかにあいまいにした。

 

わたしならどうするだろう、ヴァーラがそう考えると、答えは簡単だった。軍がいなければ、余計な軍事衝突を避けられる。なるほどたしかに、合理的な作戦だ。ナーダとモーナには、絶対に思いつかないだろう作戦。

 

なるほど、こういうことを思いつくからこそ、オムニカは強い。

 

ヴァーラはもう少しだけ考えを進めた。オムニカは全軍を街から出しながら、じぶんはここに残っていた。戦いがヴァーラの街でしか起こらないのなら、指揮官であるオムニカは向こうにいくはずだ。それでもここに残った理由、それは。

 

ヴァーラはすべてを理解し、はっきりとつぶやいた。

 

「わたしさえ止めれば、十分だったから」

 

夜の風が窓を撫で、ヴァーラは心なしか涼けさを覚えた。

 

オムニカは肩越しに振り返り、静かなうなずきを返した。

 

オムニカはひさびさに口を開いた。「ついでに言えば、ここの機械は偽物よ。あなたが来るのはわかっていたから、本物は別の場所に移しておいたの」その頬には、穏やかな微笑が浮かんでいた。最初から負け戦だった、そうヴァーラは知ったが、不思議と悔しさは湧いてこなかった。

 

ヴァーラの心にはそのかわりに、指揮官としての純粋な好奇心が浮かんできた。だから、ヴァーラはこう尋ねた。「どうして、わたしの作戦がわかったの」

 

高所のありのままの突風が、ふたりの部屋を揺らした。

 

オムニカの顔から笑みが消え、かわりに不思議そうな表情があらわれた。「あら、ならまだ正解とは言えないようね」飲み込めない様子のヴァーラを見て、オムニカはこう続けた。「あなたの考える作戦は全部、手に取るようにわかるわ」その顔に、ヴァーラは初めて、勝ち誇ったものを見た気がした。

 

姉たちすべてを侮辱された気がして、ヴァーラはとっさに言い返した。「わたしの脳には、二十世代ぶんの知識が備わっているのよ。そう簡単に理解されてたまるものですか」

 

だがオムニカはそれを聞くと、この日一番の大声で笑い始めた。まるでロバーキの機械のぎこちない動きをを初めて見た子供のように、その声に侮辱の意図はなかった。ひとしきり笑うと、オムニカは言い放った。

 

「どうやら、あなたはわたしを、ナーダとモーナの共通の妹かなにかだと勘違いしているみたいだけど。

 

あの二人を知る以上に、わたしは、あなたのこともよく知っているのよ。

 

なぜなら、わたしは、わたしの戦い方は。

 

ヴァーラ姉さん。

あなたの知識を受け継いだものなのですから」