背徳の少女 ⑤

迅速に、かつ平和裏に。

 

ヴァーラの軍は、恐るべき速度でチェルーダの街を進んでいった。それはまるで、不可視化したヴァーラが、ニーグダの無の荒野を最高速で監視して回る速度にも似ていた。ある意味では、ロバーキ最速の自走機械が、街の防壁に向かって一直線に突っ込んでくる滑稽な姿にも喩えられるかもしれなかった。

 

「順調ね」上空から侵攻を見守り、ヴァーラは胸をなでおろした。今回の作戦では、速度こそがもっとも重要なファクターだった。やられるまえに、やらねばならない。もしヴァーラが侵攻に手間取って、計画を完遂する前にオムニカの軍が帰ってきてしまえば、その圧倒的な戦力差が語っているとおりの結果が待っているだろう。

 

そして、第二に重要なのが平和だった。ヴァーラは急いでいたが、それでいてなお、兵たちにはことを平和裏にすすめるよう指示していた。ヴァーラの目的は、あくまでチェルーダを破壊することではなく、取り戻すことなのだ。たとえ作戦が成功し、オムニカから街を取り戻せたところで、過激な進軍でヴァーラ自身が信仰を失ってしまえば元も子もない。

 

「みんな、うまくやってくれればいいんだけど」ヴァーラは溜息をついた。最後になるかもしれない作戦を前に、ヴァーラの兵の士気はかつてないほどに高かった。そしてだからこそ、血気盛んな彼らが物理的な手段に頼ってしまわないか、ヴァーラは心配だった。

 

ちょうどヴァーラの心配を測ったかのように、街路に兵たちが立ち止まった。それを視界の端に捕らえると、ヴァーラは急降下してようすを確認した。青い制服の人間――おそらくモーナの警備隊だ――が兵たちと話し込んでいた。どうやらなかなか通してくれないようすで、兵たちは明らかに焦っていた。

 

「いいから通せってんだ! 早く!」兵の一人が叫んだ。

 

「街の平和を乱すものを、むやみに通すわけにはいきません」警備隊の一人が、毅然とした表情で答えた。

 

「平和を乱してるのはあの黒い女のほうだ!」 兵が叫ぶと、あたりは異様な熱気に包まれた。即座にそうなるほどに、兵の士気は高かった。「そうだ!」「そうだ!」 ヴァーラの兵たちからシュプレヒコールが飛び、どこからか投げられた石に、近くの店の窓ガラスが割れる音がした。

 

「オムニカはわたしたちの敵ではありません」青い制服が言ったが、そのことばはかえって兵たちを怒らせるだけだった。「あの黒い女こそが悪なんだ!」「そうだ!」兵たちはいっせいに、警備隊に銃を向けた。

 

「思った通りです。やはり、あなたたちを通すわけにはいきませんね」青服は負けじと言い返し、銃を向け返した。モーナ本人のように頑固な、引き下がらない警備隊。懐かしさすら覚えて、ヴァーラは彼らの幸運を祈った。

 

「勘違いしないでほしいんだが、俺たちだって撃っちゃいけないわけじゃないんだぜ」兵の一人が言うと、銃の安全装置を外すかちりという音が一斉に響いた。ヴァーラの恐れていた事態が、あたりに広がっていた。もはや両部隊は一触即発だった。

 

もう見ていられない。ヴァーラは不可視化を解くと、擬生体スピーカーの音量設定を最大にした。「無駄な争いは避けよと言ったはずです」ヴァーラはまず、兵たちに言った。「でもこいつら、通してくれそうにねぇですぞ」「どうしようもなければ撃ってもいいって、そう言ってたじゃないですか」兵たちから不平の声が上がった。

 

ヴァーラはその声を無視すると、青い服の警備隊に向き直った。「みなさん、お勤めご苦労様です。ですがわたしたちは、街を破壊しに来たわけではありません。どうか、ここを通してはいただけませんか」だが、彼らは逡巡することもなかった。

 

「お言葉ですがヴァーラ様、この憤った軍勢をご覧くだされば、お通しできないとわかっていただけるはずです」警備隊の隊長らしき、短髪の男性が言った。かつての指揮官にさえ、問答無用の信念を貫く。その断固とした態度に、ヴァーラはモーナ本人の面影を感じた。

 

あの子、なかなかよくやっているようね。わたしがいなくなったあとも。

 

思案する様子のヴァーラを見て、隊長はさらに付け加えた。「誤解を与えないように申し上げますと、ヴァーラ様、わたしはあなたのことを信頼しております。あなたに実際に、街に悪さをするつもりがないことも。ですがそれは、あなた本人にかぎった話です。そしてあなたへの信頼は、あなたの軍が乱暴を働かない保証にはならないのです」生暖かい風が吹き、ヴァーラの人造の皮膚に小さなさざめきをつくった。

 

長年の経験から、ヴァーラは引きどきを心得ていた。ここは、わたしたちが折れる番。「わかったわ」ヴァーラは言うと、兵たちに命令を出した。「まだ時間はあるわ。別の道を行きましょう。それと、第八地区には近づかないように」そうしてヴァーラはふたたび、警備隊に向き直った。「第八地区の警備隊よね。これでいいかしら?」

 

隊長は黙ってうなずいた。その姿に、ヴァーラはふたたびモーナを感じた。その恥ずかしげなうなずきは、ヴァーラのことばに納得したとき、モーナがよく見せていた姿だった。一件、落着。警備隊に謝罪を入れると、ヴァーラはふたたび不可視になり、上空に浮かんだ。