計画的退屈

おおくの仕事は、とつぜん、増えたり減ったりする。簡単だと思っていたところがじつは簡単ではなかったり、思わぬ修正が必要になった場合、わたしは、わたしが思っていた以上の労力を費やす羽目になる。逆に、たいへんだと思って身構えていたステップが、ひとつのちょっとしたアイデアのおかげで、すっきりと解消されてしまうこともある。仕事量とは、かくも不安定なものだ。

 

だから、計画にはあるていどの余裕が必要だ。とりわけ、締切がある場合には、不測の事態に対応し、それでも間に合うようにしておかなければならない。いいかえれば、計画性が高いとは、締切直前の進捗に期待しようなどとは考えないという意味だ。

 

さて、おおかたの予想に反して、仕事はたまに予測通りにすすむ。あるいは、予測がいいほうに外れて、ある意味では予想通りにすばらしい進捗をみせる。こうなった場合、締切直前にわたしを待つのは、なにか問題がおこったときのために待機こそしているが、その問題はおこらないという退屈だ。

 

こう書けば、締切直前になにもしないのは不可抗力にも見える。だがじっさいのところ、暇なら、なにかべつのことをすればよい。だから、わたしは退屈にさせられているのではなく、退屈をえらんでいる。そして、わたしが退屈をえらぶのは、不測の事態に対処するためではなく、なにもせずに時間を無駄にするためだ。

 

だが、そうわかっていても、わたしは退屈をえらぶのはそう悪いことでもないと思う。終わればなにもしなくてよいことは仕事をすすめるモチベーションになるし、なにより、この退屈な期間は、次にやるなにかへの原動力となるはずだ。