多重締切駆動

神代より語り継がれし人類普遍の真理、締切がなければひとはなにもできない。事実歴史上、数えきれないほどの人間が、いつかやると言ったことを結局やらずに死んでいった。しかしながら真理とはまた、打ち破られるためにあるもの。この法則を打ち破らんとする試みは、神官や錬金術師、科学者やガイコクゴナガーイナマエカタガキストのなどの手により、古よりなされ続けてきた。そのなかには成功を告げる伝承もあるし、一部は情報商材屋に五万円を支払って購入することもできる。

 

それらの多くはもちろん、あくまで伝承に過ぎない。あるいは、たまたま別の仕事のために使ったものをそのまま流用して、早く終わったと主張しているか。永久機関が実現できないことや、新興宗教の洗脳に耐えきれる人間の非存在性や、冬の寒い日にこたつから脱出する有効な手段は存在しないということなどと並び、締切なしでもできる仕事というものは世の中の法則に反している。

 

科学的にはおおいに発展し、心理的にはとくに発展していないかむしろ退化している現代でも、やはりそれは変わらぬ真理だ。締切があれば動けるかはさておき、締切がなければ動けない。わたしは締切に余裕を持つタイプで、どうやらこの種は稀少性からユネスコレッドリストにも載っているらしいのだけれど、それでも締切があるのとないのとでは全然違う。幾多の先人が破ろう破ろうと考えながら先延ばしにし続けてきた世界の法則は、そう簡単に破れるものではない。破るための具体的な行動に移ろうと決意するという判断を下そうと思えるようなものではないのだ。

 

さて。できないことをできるようになるのは無理として、逆を考えよう。つまり、できるはずのことができなくなる状況のほうだ。締切があれば働けるわけでは必ずしもないが、締切があるからこそ働けることは多い。締切があればできるだろうことが、締切があるのにできない状況とは、いったいどういう状況だろう。その状況でなにかができないということは、締切がない場合と同じように、なんらかの普遍的真理なのだろうか。

 

ぱっと思いつくのは複数の締切がある場合だ。ひとつひとつはたいしたことがないが、群れてかかってくるがゆえに面倒くさい仕事。これが仮面ライダーのショッカーであれば、順番に襲ってくるやつを一体ずつ処理していけばいいが、現実は特撮ほど甘くない。現実のショッカーはみな……襲ってくることなく、敵意を見せることすらなく、ただその場に立ちすくんでいる。ライダーであるわたしたちはそこで変身ボタンに指をかけつつ、まあまだ状況は変身しないといけないほど切羽詰まっているわけでもないから、やはりその場に佇んで、どのショッカーから倒せばいいのかなぁとぼんやり考えている。シュールな情景だけれど、事実、こっちのほうが困るのである。