精神論とその逆と

できるはずのことと、できることとは違う。うっかり逆向きの電車に乗ってしまうこともあるし、簡単なはずの問題はときにまったく解けない。足元に張られた透明なロープのように、しばしば不可能は予想のはるか外から潜り込んでくる。

 

精神論は、この計算違いをひとことで説明してくれる――「たるんでるから」。できるはずなのだから、やる気があればできるに決まっている。なるほど、実にシンプルな論理じゃあないか。

 

たいていの場合、精神論の説明は単純すぎる。それは個別の現実を無視して、すべてのことを同じ論理で説明する。万能の論理、それは実のところ、何も言っていないに等しい。

 

単純すぎる説明なら、なにも精神論に限った話ではない。精神論がすべてを可能の側に押し付けるの同様、すべてを不可能の側に押し付ける論理もある。「できるはず」はすべて錯覚で、できなかったのだからできないのだ、と。悪いことに彼らは現実主義者を自称するが、彼らもまた、現実を見てはいないのだ。

 

 

今日できなかったことは、本当はできるはずのことなのか。すべてを可能ともすべてを不可能とも言えないのなら、個別の問いに答えるのは骨の折れる作業だ。だから、少しくらいの妥協は許そう。実のところ、単純すぎる説明は、すべてのことに一定の指針を与えてもくれる。