日記を銘打っておきながら、私の生活はほとんどここに記されない。パソコンと布団の間の二メートルの往復に、取り立てて書くほどのストーリーは宿らないからだ。
だが、文章の内容は、その日の生活に全く無関係でもない。昨日私がプログラムについて書いたのは、プログラミングコンテストに出たからだ。ありがたいことに、生活はテーマを暗示してくれる――生活そのものがテーマではなくとも。
だがそれでも、テーマに困る日はある。人生は、文章のヒントすらない日の連続だ。
そんなとき、思考は不必要に雄大になる――一京円あったらどうするか。民主主義システムの再構築法は。宇宙は実は牛乳でできていて、我々はカマンベールチーズの皮の上で暮らしている。
論評や小説はこれらの問題に答えを与えられる――だが、一日では無理だ。だから代わりに、どうにかお茶を濁して今日をやり過ごさなければならない。
そうして私は、ひとつのありきたりな真実に行き当たる。
そう、今日は何も書けない日。
だから、何も書けないということについて書いてしまえばよいのだ。