文章の圧縮

文章を書く楽しみ。

そのひとつは、縮めることだ。

 

経験上、良い文章は、より長い文章を限界まで縮めて得られる。一発書きで良いものは書けない――初稿は書くだけで精いっぱいで、いつだってぼんやりしている。大事なのは、曖昧な殴り書きから一貫したストーリーを抽出することだ。

 

書かれていないストーリーは抽出できないから、推敲は、役割の薄い部分を消していく作業になる。どこが大切で、どこが実は不要なのか。徹底した仕分けを通じて、文章の、自分の思考の本質が見えてくる。

 

もっとも、縮める作業には、卑近なものもある。脳が出力するがままの不格好な短文を、どうにかこなれさせる作業だ。例えば、同語反復を避ける。同じ節の出現回数を減らすために、語順を変える。冗長な句は、一語にまとめてしまおう。長い主語の一部を述語に持ってくれば、頭でっかちな印象を消せるだろう。こういう局所的な作業は、文内容の本質とは程遠い。だがそれはさておき、重要で面白いパズルだ。

 

思考の本質を彫り出すのは大変だ。これは持論だが、書いた時の気持ちを忘れ、一文一文への愛着が消えて初めて、人は文章の内容を削れるようになる。だからストーリーの抽出には時間がかかり、その点で、日記は文章の訓練にならない。

 

だが、パズルにはおそらく、時間は必要ない。コツを掴めば、一文一文はこなれてくる、そう私は信じている。その点、日記はよい訓練だ。量をこなす以上のテクニックの訓練はないし、そしてなにより、楽しいパズルが毎日解けるからだ。