創作と研究の方向性

創作も理論研究も、ストーリーを作る営みである。クライマックスに向けて物語を展開するのが創作で、主定理に向けて証明を展開するのが数学の理論研究だ。

 

もちろん、物語も証明も、思い通りには進まない。展開を続けるうちに、当初の予定とはまったく異なるところへ行きつくこともある。ある意味、これはストーリーの自由さとも呼べる。

 

だが、研究は創作よりもはるかに不自由だ、と私は思う。物語は結局人の動きだから、作者がある程度コントロールできる。その人物に似つかわぬ行動も、「今日はなぜだかそういう気分だった」である程度は正当化できるからだ。一方、数学の研究において、回らない証明は、ただ、回らない。

 

ストーリーの行先の設定で、この違いは大きく効いてくる。創作では、物語を無理やり捻じ曲げれば、どうにか当初の予定地点に着地できる保証はある――それが良い物語かはさておき。一方、数学にその保証はない。ある種の論理学的仮定のもとで、数学は、黒を白だと言い張る能力を一切持たないからだ。

 

もちろん、だからこそ、数学は面白いのだ。黒は絶対に白にはならない、だから作法に則っている限り、どんな屁理屈でも通用する。しかしながら、そのパズル的面白さは、ストーリー的な自由度の、あるいは表現能力の代償である、と、私は言わざるを得ない。