「なんだ、簡単じゃねぇかよ……」と俺は溜息をつき、握っていたペンを乱雑に机に投げ捨てる。椅子の背に倒れ込むと同時にどっと襲ってきた疲れに、時計を眺めるともう深夜三時。明日はきっと、俺は使い物にならない。
今回は上手くいくかもしれないと、数分前までの俺は本気で思っていた。朝から七問の自明と二問の解決不能を処理し、今日はもうやめにしようかと思っていたところでやっと出会った問題だった。いくらかの汎用的なアイデアをもとに既出定理検索を試しても見つからず、かといってクソ問にありがちな、複雑すぎる数値設定もない。解けるとも解けないとも言い難い絶妙なラインの難しさ、ことばを変えるなら、解き甲斐。人類の知識のちょうど最先端に位置する命題に特有するあの、常識をほんの少しだけはみ出しているような雰囲気が、あの問題には確かにあった。
食事をするのも忘れて、だから俺は考え始めた。科学はスピードが勝負なのだ。ほかの誰かが解いてしまうまでに証明をアップロードしなければ、なんの意味もない。世界中の数学者が二十四時間、興味深い問題はないかとハイエナのように目を光らせている、研究者社会とはそんな世界。成果を挙げられそうな問題を見つけたとして、それを本当に俺のものにしたいのなら、一刻の猶予も命取りだ。
こんな世の中に誰がした。人工知能ってやつが、した。
従来の理論研究とは創造的な行為だった。問題を解くのももちろん大切だが、それ以上に、その問題に意味を持たせる文脈が大事だった。それに意味があると思って研究者は問題を作っていたし、意味があるからこそ、研究は仕事として成立してきた。
けれど意味というものは。彼らが意味だと思っていたものは。それは実世界の役に立つという意味ではなかった。人類の知を、有機的に拡張するという意味ですらなかった。そうではなく「意味」とは、同業者を言いくるめるための、説得力の言い換えに過ぎなかったのだ。
そして説得力であれば、人工知能ってやつの得意分野だ。
現代、説得はすべてやつらが自動で生成する。個々人の人間よりもはるかに優れた説得力評価関数を持つ人工知能は、人間のものよりはるかに説得力の高い文脈を作り上げ、解かれるべき問題がなにかを決定する。あとは問題を解いて証明を埋めれば、高価値な論文のできあがり、というわけだ。
だがやつらは、問題を解くことに関してはあまり得意ではない。俺たち研究者のほうが、数段上手い。だから俺たちがいま、まるで砂金掘りのように、人工知能が生成した大量のクソ問の中から解き甲斐のある問題を見つけだすという、単純きわまりない労働をさせられているわけだ。