最後の時間 ⑥

 忙しいという事実を、なにかをやらないことに対する万能の言い訳だと思っているやつがきらいだ。実際に忙しいのはそいつの勝手だが、やりたいんだけど忙しくてできないんだよね、とか適当なことを言って、こっちに引き下がることを強要してくるやつのことを、わたしは卑怯だと思う。

 

 それはさておき、わたしは日記をやめる。このタイミングでやめるのは、四月から就職して忙しくなるからである。実際に忙しいのかはやってみないと分からないから、正確に言えば、忙しくなることが予想されるからである。

 

 言った先から矛盾した。いや、わたしがわたしを嫌いであるということにすればたしかに矛盾はしていないが、わたしはべつに人一倍自己嫌悪の強い性質だというわけではないので、やっぱり矛盾はしている。このタイミングで日記から逃げるのは、わたしが思う卑怯を体現している。

 

 あえて言い逃れはするまい。しようと思えばできるかもしれないが、そこまで不格好にはさすがになれない。とつぜんなんの脈絡もなくきらいな人間の特徴を並べ立てはじめるだけでも不愉快きわまりないのに、そういうお前はどうなんだ、と非難の矛先を自分に向けられた瞬間、これこれこういう理由で自分は違うんですよ、きみと一緒にしないでくださいね、などと顔を真っ赤にして新たな屁理屈を捏ね始めるのでは、とてもみじめすぎて見ていられない。ましてやそのすべてが自演とあっては、もう救いようがない。

 

 したがってこの場合のわたしに取れる行動は、とにかく最大限に卑屈になることだけである。わたしは忙しさを口実に日記をやめます。ただ忙しいですと主張するだけで、どんなことをやめる理由にもできると勘違いしている、卑怯でつまらない人間です。こう言えば満足ですか。あなたはわたしのことを、言行の一致しない、取るに足らない人間だと思って放っておいてくれますか。

 

 ……なんだか話がおかしくなった。べつにわたしは、だれかに許しを請おうとしてこういうことを書いているわけではなかったはずだ。

 

 これまで書いてきた通り、わたしが日記をやめるのはもう必要を感じないからだ。毎日書かずともわたしは生きていける。たとえわたしがなにかを定期的にアウトプットしなければ気が済まない性質だったとしても、毎日はちょっと多すぎる。必要を感じないならなんでも即座にやめるべきだ、という主張には同意しかねるが、すくなくとも、やめても構わないことはたしかである。