彷徨 ②

 あるいは、かれにはもう意識はないのかもしれない。

 

 戦争の終結からはや五年。地球上の全人類の究極的人権獲得のための最終闘争と銘打たれたその戦争は、戦争の例に漏れずきわめて非人道的ではあったものの、戦後処理は珍しく、適切に行われた。この世界を完成させるための障壁となっているあらゆる悪――汚職にまみれた売国政治家からブラック企業のオーナーに至るまで、大小さまざまな悪人――は追放され、またそのような人間が二度と現れないよう、地球大気には悪意を抑制する、特殊なホルモンがばらまかれた。つまり、戦争が終わり、ユートピアだけが残された、というわけだ。

 

 ホルモンは安全なはずだった。事前の臨床研究で、科学者たちは――主に世界政府の御用学者たちは――そう口々に報告していた。だから戦勝国連合はその物質を撒き、社会には平和と秩序が訪れた。あらゆる類の悪意は抑制され、世界中から凶悪犯罪が消え失せた。

 

 しかしながら、抑制されたのは悪意だけはなかった。重犯罪は消えたが、軽犯罪は消えなかった。

 

 腐臭のしないゾンビ。街を無意識に彷徨い歩くひとびとの存在を社会問題として初めて取り上げるとき、メディアはかれらにそう名前を付けた。言い得て妙な表現ではあったから、いまでもその呼称は使われている。だがかれらがホラー映画のゾンビと異なるのは、ホラー映画のゾンビにはほんとうに意識がないのに対し、かれらは自分自身がゾンビであることを理解できるし、実際に理解しているということだ。

 

 最初はほんの数秒。ほんの少しぼーっとして、ふと我に返った瞬間、先ほどまで真面目に聞いていたはずの話についていけなくなっていることに気づくとか、そういうありふれた経験。だれにでもあるはずの、瞬間的な無意識。

 

 だが良性のそれが居眠りへと落ち着くのに対し、悪性のそれは夢遊病者のような、時間的大規模の無意識へと変化してゆく。五感は正常に動作し、脳はそれらの情報を処理しているのに、意識がそれを解釈しない。

 

 たとえばいま、かれは地雷原を歩いている。どぎつい色の看板は、かれの目にはっきりと映っている。地面の舗装がはがれ、砲弾のあとは補修されず、戦争の足跡がいまだに残されているのを、かれは把握している。だが、それがなにを意味するのかを理解していない。一歩足を踏み違えれば死が待っているという事実をかれの意識は推論できない。かりに無意識がそれを推論したとして、かれが取るべき行動がもっとも新しい足跡を踏み続けて引き返すことだということを、かれは結論付けられない。