科学の定義 ⑦

 では科学と比べて、魔法の優れている点はどこか。

 

 そんなことはいくらでもあるだろうとわたしたちは思う。わたしたちは魔法に憧れるからだ。だから魔法を物語に描くのだ。隣の芝は青い。

 

 だが魔法使いの気持ちになって考えてみれば、わたしたちの憧れの多くがじつのところ、具体性に欠けるものだと気づく。わたしたちは魔法世界を、なんでも思い通りになる世界だと思いがちだ。具体的になにがどう思い通りになるかをろくに考えもせずに。

 

 それでも魔法のほうが優れている点があるとすれば、それはなんだろうか。

 

 箒に乗って空を飛べる。空を飛べたからってなんだっていうのか、と魔法使いは言う。それがそんなにいいものか。移動するだけなら道路がある。科学世界の道路はそれなりに便利だ。

 

 だがきっと、魔法のいい点とは、そういうたいしたことのないことのなかにある。

 

 たいていの魔法使いは強くない。強くないから、都市を丸ごと滅ぼすとか無限の命を得るとか、強力なデーモンを呼び出すとか、あるいは死者をよみがえらせるとかいった、難しいことはできない。できたら大変である。一般人にそういうことができる世界は、わたしたちの憧れる魔法世界ではない。

 

 とはいえ一般人も少々の魔法は使える。マッチを使わずにたいまつに火をつけたり、隣りの部屋にあるものをことばひとつで召喚したり、杖のひと振りで机を整理したり、機械の足りない部品を粘土から成型したり、骨折を一瞬で直したり、それこそ箒で空を飛んでみたりできる。

 

 それだけである。些細な結果を思念し、身の回りの現実をそのとおりに動かす。生活はたしかに便利になる。それ以上に大きなことはなにも起こらない。普通に生きていれば、起こせない。

 

 それだけ。

 

 だがその手軽さを科学で実現しようとすると、とんでもない量の理論と実践と設備投資が必要になる。

 

 魔法は身の回りのすべてをいい感じにやっておいてくれる。だが科学はそうではない。魔法のような結果を実現する手段がかりにあったとして、それは数々の技術的叡智の結晶であり、すべての細部に莫大な考えをめぐらせることで初めて実現できるものである。

 

 そして魔法使いたちは、科学のそういうところをきっとものすごく回りくどいことだと思っているだろう。習いたての魔法を見よう見まねでふるう子供ですら、ぎこちなく杖を動かせばお望みの結果を得られるというのに、科学ときたら巨大な工場と大学と企業とが真剣になってなお、羽を浮かべることすらできないなんて!