スピード狂

 鶏が先か、卵が先か。

 

 とにかく猛スピードで話を進める体験をしてみたくなったから、そういう話を作った。あるいは、思いついたギミックをさっと書き切ってしまいたかったから、詳細を切り詰めて書くことにした。

 

 どちらでも同じことである。世の中たいてい、どっちが先とかどうでもいい。

 

 結果としてあれが出来上がった。背景の説明から奇妙な主人公の導入まで二千文字。単純にして明快。簡素にして豪快。疑問を差し挟む余地はいくらでもあり、いくらでもツッコめると思うからこそ、きっとだれもツッコんでこない。

 

 危険な話もしやすい。性別がかかわる話は例外なく炎上すると相場が決まっているが、あれだけ勢いをつけておけば、燃やすほうとしてもどこを燃やせばいいのかわからない。火は濁流に弱い。表現に傷つかれるまでの時間で次の話を始めてしまえば、感受性野郎は押し流せる。

 

 だから頻繁に話題を変える。

 

 続きはない。あのギミックを思いついて、だから書いた、それだけ。せっかく思いついたのだから続きを書けばいいのに、とかいうお節介はお断りである。自分の作った舞台で演者を動かすのは、舞台をただ設営するのに比べて何十倍も難しい。

 

 こんな感じで適当に作って放置されているギミックが大量にある。そのほとんどはすでに忘れてしまった。

 

 日記やメモを見れば思い出せるだろうが、二年半も日記をやってきて、未だかつて一度もここを読み返そうと思ったことがない。だからそうはならない。だからこの話は終わり。散発アイデアの墓場で過去の自分と向き合い、羞恥心と戦う新手の肝試しに、興味はない。

 

 簡潔に書くと紙面が白い。そりゃそうだ。

 

 すぐに書くことがなくなる。訓練としては素晴らしい負荷である。つまり日課としては厳しい。

 

 日課だからだらだら書いてきたのは事実であり、それは懺悔しないといけない。懺悔しようにも相手はいないから、自分自身に懺悔する。文章を遅くする練習とか、詳細を膨らませる練習とか言ったのは嘘だ。ごめんなさい。二度としないとは言いませんけど。

 

 風が吹けば桶屋が儲かる。その記憶長が極端に短い論理転換のような勢いで、文脈は移り変わる。ほとんど連想ゲームである。

 

 どちらがどちらなのかは知らないが、鶏が先である。

 

 猛スピードの文章を書きたいから、今日はそうした。文脈はバラバラ。日常の取り留めのない思考にストーリーも時系列もないのが、そのまま文の形になったなにか。体言止めの濫用で諸々を誤魔化している。

 

 こういう文章も書けてもよかろう。