科学の定義 ①

 サイエンス・フィクション。読み手としてそのジャンルを好きになったのは日記を書き始めるよりもだいぶ前だが、それを題材に文章を書くようになったのは、今年に入ってからだ。

 

 なかでも興味を持ったのが、サイエンス・フィクションにおいて科学とはどういう立ち位置にあるものなのか、ということだ。もちろんそれはフィクションを成立させるための土台であるわけだが、ではいったい、どういう意味で土台なのか。サイエンス・フィクションをサイエンスとフィクションに分けるとすれば、個々の作品はどこまでがサイエンスで、どこからがフィクションなのか。

 

 考えるとなかなか興味深い問いであった。

 

 答えを削り出すために、まずありえない場合を排除することからはじめてみよう。仮説、サイエンス・フィクションは完全にサイエンスである。SF 作家とは論文を書かないだけの科学者であって、かれらが提示する世界は、科学の予言そのものである。

 

 もちろん、そんなことはありえない。

 

 だから違いを考える必要がある。サイエンス・フィクションが描いているものと、本物のサイエンスとの違いを。

 

 その違いを挙げよと言われれば、だれもがこう言うだろう。科学論文は物語ではない、と。

 

 なるほどたしかに、SF は物語である。科学的なギミックのほかに、ほかの小説と同じように、展開の妙や人間ドラマなどのなんらかを描く必要がある。間違いない。論文調で書かれる小説もあるが、それとてべつに、実験結果さえ出れば本当に学会誌に投稿できるたぐいのものではない。

 

 そんなことはみなわかっている。議論の必要のない、明白な違いが排除された。だからその先を考えねばなるまい。

 

 サイエンス・フィクションはなにを科学と呼ぶのか。

 

 現実の科学のみを呼ぶのではない。もしかりに、サイエンス・フィクションが既存の科学ギミックだけしか使えないのであれば、それは単なる現代小説である。サイエンス・フィクションは少なからず、まだ見ぬ科学を科学と呼ぶ。それは現実の科学の先にあると科学者たちが夢見ている景色であることもあるし、そうでないこともある。

 

 だが一方、すべてが科学なのかと言われれば、それもまた違うわけだ。そこの線引きがどこにあるのかはわからない。だが、どこかにはある。

 

 そして矛盾するようだが、サイエンス・フィクションはきっと、ありとあらゆる事象を、その枠組みのなかに捉えることもできるのである。