怒りの回想

 昨日、わたしがあたかもここで怒りを表明したことがないかのようなことを書いていたが、よく考えたら怒ったことはあった。

 

 とはいえそれは、いわゆる「怒り」とは違う。現実でむしゃくしゃして突発的に書いたものではない。だから、それを怒りと呼ばないこともできるだろうし、怒りと呼ばないための現実的な理屈付けもできるだろう。だがやはりあれは怒りであって、わたしがどう言おうが外から見れば、そうとられてもおかしくない類の文章であった。

 

 矛先は、研究をとりまく意識について、である。

 

 研究には特段の意味がないとわたしは信じており、意味があると考えるひとびとが理解できなかった。このことについてならいくらでも語れるが、ほんとうにいくらでも語ってきているから、あえてここでは深入りしない。大雑把に、音楽性の違い、で片づけてもいい問題かもしれない。

 

 意義を問うてくる人間が嫌いだったわけではない。ただ、よく分からないことを正しいかのように押し付けてくるという意味で、その話をしているときだけは、うっとうしかった。うっとうしいから、怒りではねのけようとした。

 

 それがここで文章になった。そして書くことを通じて、それがわたしをかたちづくった。

 

 被害者意識に浸るつもりはない。どうすればそうできたのかは分からないが、わたしにはおそらく、かれらの言うことを受け入れるという選択はあったのだろう。それをしなかったのはわたしの選択であり、書くことを通じて拒絶心を逆に強化したのも、まぎれもなくわたしの所業である。

 

 だからべつに、かれらを悪くは言うまい。わたしはかれらの言うことは否定するが、人格まで否定はしないつもりだ。

 

 別の方向へ行こうと決めたのがわたしの決意なのはいいとして、どうしてそう決意したのかには議論の余地がある。この文章は、ここ三年弱の振り返りである。だからいま振り返って、あの反抗がどんな理由によるものだったのかを理解するのは、文章の主題に合致している。

 

 ひとつの答えは、あれは怒りというより、単純な意志表明だったのではないか、ということである。

 

 研究の意義なるものの否定にわたしは躍起だった。大学院生という身分で研究は生活の大部分を占めていたわけだから、大げさに言えば、命を懸けてきたと言っても遠くはないだろう。自分の意見を正当化するため、わたしはいろいろな理屈をこね回してきたが、そんなものはどうでもいい。大切なのは否定という結果であり、すべての理屈は、否定という結果を出すための、そのときいちばん納得できる理由付けに過ぎない。

 

 そして、最初に否定という結果を固定することで、わたしはきっと表明したのだ。なにがあろうが、わたしが否定の側に立つということを。