宇宙空間 ➄

 宇宙生物モノ、とでも呼べばいいか。とにかく奇想天外な生命体(のようなもの)を考え、その生態を記述するというサイエンス・フィクションの一分野がある。その中では、ライフスパンが長すぎたり物理的実体を持たなかったり、個体という概念があいまいだったり特殊な神経系を持っていたりと、まあそれはありとあらゆる種族の「生き」ざまが描かれる。

 

 正直にいえば、わたしはその手の作品をあまり好きになれない。というのも、話に必然性がないように感じるからだ。なんでもいいからとにかく奇抜なものを思いついて書けばそれでよしという雰囲気を感じてしまい、奇抜さを奇抜さの特殊例として額面通りに受け取る以外に、読者がなにをできるのかよく分からない。生命に関する洞察やらなにやらを、残念ながらわたしはその裏に見いだすことができない。

 

 つまるところわたしはサイエンス・フィクションになんらかの意味での普遍性を求めていて、それを感じさせてくれない個々の事象そのものには、あまり興味を惹かれないみたいだ。

 

 しかしながら、普遍性とはなんなのか。というのも、そもそも物語で描かれうるのは結局個別の事象でしかありえないのだ。奇抜な宇宙生物に普遍性がないとして、ならどんなものになら普遍性が存在するとわたしは感じるのか。物語という形で描かれたなにかが普遍的な真理を突いていると感じるとき、わたしは具体的にどういうものを思い浮かべているのだろうか。

 

 普遍性、ということばの意味を辞書で調べてみる。すべてのものに通じる性質。まあ、ほんとうにすべてに共通する性質などなかなかないから、特定の前提の下で、ということではあるだろうが。つまりそれはある種の状況であれば成り立つと期待されるなんらかの性質であって、その「ある種の状況」にあてはまるための条件がなんなのか、わたしにはよく分からない。

 

 ひとつの物語を普遍的だと感じたとして、そこで得られたものがべつのなにに適用できるのか、わたしにはよく分からない。

 

 だがとりあえず、宇宙生物というサイエンス・フィクションの一分野が、普遍性の対極を行こうと努力している、ということだけはよくわかる。

 

 考えてみれば、宇宙とは普遍的な空間である。そこを支配している物理法則というルールは、この世界ではなかなか珍しい、全空間において明示的に普遍なルールだからだ。描かれたエイリアンに対し、この生物は呼吸をするから普通だと考えるひとはいても、描かれた世界に対し、この世界には重力があるから陳腐だと考えるひとはまずいない。だから宇宙空間を題材にしたサイエンス・フィクションは、まずそれだけでひとつの普遍性を獲得していることになるのかもしれない。