ファンタジーの正当化

  そういえば、世の中にはサイエンス・フィクション以外のフィクションもあるのだった。そしてそのなかのいくらかは、舞台が現実世界でもそれなりに真面目に考証がなされている歴史の世界でもないという意味では、サイエンス・フィクションと似ている分野なのだった。

 

 ファンタジーとその分野は呼ばれる。そういうものはあまり読まないのでよく分からないが、非常におおざっぱに言えば、魔法やら変な生き物やらが出てくる物語である。主人公は多くの場合、そういう世界のなかを冒険し、なんらかの目標を達成しようとしたり事件に巻き込まれたりする。正義の陣営はだいたい「光」で、悪の陣営は「闇」である。

 

 その手のファンタジーサイエンス・フィクションを区別するものはなにか。そのふたつは明確に違う気がするからすぐに答えが出そうなものだが、考えてみるとなんだかあまりよくわからない。さっきお前が言った、魔法や変な生き物の出てくる話、っていうのはどうなんだ、と言われそうだが、落ち着いて思い返してみれば、そういうものはサイエンス・フィクションにもけっこう出てくる。ただそれらが、サイエンス的なテイストを帯びているというだけで。

 

 ひとつ思い当たる節がある。サイエンス・フィクションにあってファンタジーにない、物語上の制約が。サイエンス・フィクションはその名の通りサイエンスのフィクションであって、そこに登場するものごとは、科学的な妥当性を帯びていなければならない。それはかならずしも現代科学の常識に合っている必要はないが、なんらかの架空の科学体系のもとで正当化される必要があって、なおかつその正当化がどのようなものであるかは、きちんと説明されなければならない。とりあえず読者をその気にさせる程度には。

 

 そして見たところ、(とくに魔法の)ファンタジーにはおそらく、物語の一般的作法と筆者自身が明確に記述した設定上の限界を除いて、その手の制約はないように見える。

 

 では魔法やそれに準ずるものを世界に存在させるにあたって、ファンタジーの作者にはいっさいの説明の責任がない、ということになるのか。おそらく、それもまたそうではない。

 

 なにか破天荒なものを持ち出すなら、その存在を読者に納得させなければならない。それはおそらくすべての物語に共通する事項であり、サイエンス・フィクションの読者のほうがそこにやや小うるさい可能性はあるとはいえ、ファンタジーでも大差ないはずだ。それならば、サイエンス・フィクションの技術が架空科学の論考によって正当化されるように、ファンタジーの魔法を正当化する論考もまた存在するだろう。そしてそれがどのように読者を納得させるのかについては、サイエンス・フィクションとはまったく違う論理が用いられることだろう。