科学の定義 ③

 魔法の出てくる典型的な物語を思い浮かべてみよう。

 

 それは冒険や戦争の物語である。そうでなければ学園ものだが、その学園では大事件が発生するから、結局冒険や戦争らしきものに遭遇することになる。そうでないものもきっとあるだろうが、わたしがいくつか思い浮かべた範囲では、そうである。

 

 主人公は魔法使いで、強いことも弱いこともあるが、とにかく己の魔法的能力を使って場を切り抜ける。その能力とやらは土壇場で開花し、主人公自身が思ってもみなかったほど巨大な力が発揮され、それが問題解決の突破口になるーーというのは、さすがに少々ステレオタイプ的すぎるか。

 

 まあとにかく、魔法というものはそういう文脈で扱われることが多い。冒険、危機、成功。

 

 その点では、科学と魔法は明確に区別ができるだろう。科学は魔法と違って融通が効かない。冒険のさなかで突然未知の力に目覚めるとか、そういうことはない。

 

 いや。そういうことはあるが、そうなるにはなんらかの科学的説明がいる。主人公の意志の強さとか、愛とか絆とかの力とは違う、冷静で論理的な説明が。

 

 それは力から、属人性を排除するということでもある。

 

 サイエンス・フィクションの主人公は、客観的な理由で強くなる。なんでもいいが、とにかく客観的でなければサイエンスを名乗れない。主人公以外のだれかがその理由を持っていればそのひとは主人公の働きをするだろうし、そうなるだろうと思わせられなければならない。

 

 物語の主題が、主人公の人格にあってはいけない。主人公を強くするギミックのほうが主題である。なぜなら科学とは人格で行うものではないから。

 

 物語そのものを超えて、なぜその物語が発生したのかということにに重点をおくことが、サイエンスというもののやりかたなのである、とわたしは思う。

 

 だが疑問はまだ解消していない。

 

 科学と魔法では、物語の描きかたが違う。そこまではわかった。サイエンス・フィクションが人間の物語に見えて、それを含む構造の部分を重視しているということも。だが目の前の技術が科学なのか魔術なのかは、物語としてどう語られるかによってはじめて規定されるようなものなのだろうか? そうではなく、もっと直接的に、これは科学です、これは魔法です、とより分けることはできないのだろうか?

 

 直感的には、簡単にできそうな気がする。現実世界ではそうだから。現実世界では、実現されているものはすべて科学である。それがある面で、いかに魔術的なものであっても。

 

 だがご存知の通り、創作世界でその基準は使えない。創作世界では、魔術もまた存在しうるのである。