現実論 ②

 ウィキペディアはフィクションだ、と彼は言う。

 

 そんなわけはない。騙されてはいけない、と自分の頬を叩く。確かに少々の間違いや創作はあるかもしれないけれど、あそこに書かれていることはだいたい正しい。断じて、フィクションなんかではない。

 

 そう言おうとしていることくらいお見通しだ、と言わんばかりに彼は鼻歌を歌い出す。フンフン、フンフン。

 

 フンフン。そうだ。現実世界が特別な理由、ひとつだけあるんだった。フンフン。なんだと思う、え? そう、この世界はほかのどんな世界よりも、作り込みがしっかりしている。しっかりしすぎていてぜんぜん融通が利かないくらいにはね。フンフン。

 

 この点は負けを認めなきゃいけないかもね、と言いながら彼はすごく楽しそう。フンフン、フィクションの世界にだってすごく作り込まれたものはあるけど、さすがに現実には敵わない。といっても、だから現実だけが特別素晴らしい、ってことにはならないけどね。だって、世界は作り込まれてりゃそれでいい、ってわけじゃないんだから。フンフン、フンフン。

 

 わけがわからなくなってきた。いや、騙されちゃいけない。わけなんて最初からわかっていなかった。というか、わけのわからないことを言っているのは彼のほうなんだから、こっちが話を聞いてやる筋合いはない。

 

 作り込み、ってなんの話だよ、と返してみる。現実世界はべつに、どこかのだれかが作った作品じゃない。複雑すぎる歴史と人間関係の流れの中で、だれにも制御されずに発展してきた、混沌とした成り行きの産物だ。

 

 そう言うと彼は珍しくにこりと笑って、言う。混沌とした成り行きの産物。そのことば、気に入ったよ。

 

 同意されて逆に不安になって、どういうことだ、と訊ねる。彼はまた口元を歪める。

 

 言う通り、現実は成り行きの産物だよ。でも、混沌だからダメなんだ。よい世界は、もうすこししゅっとしていないといけない。成り行きの代わりに、いやにならない程度のご都合主義が幅を利かせていなきゃいけないんだ。そのご都合主義の中に物語が生まれるんだ。でも現実にはそれがない、それがないだろう?

 

 そうだ。ウィキペディアをよく読むって話をさっきしたよね。で、とくによく読むのは歴史のページなんだけど、歴史にはご都合主義がある。だから物語になる。でもその、理想的な成り行き任せの混沌状態とやらは、だれかのご都合でできていたりはしない。だから現実っていうのは、ほかのフィクションと違って、ただむやみやたらに複雑なだけなんだ。