仮想空間 ②

 サイエンス・フィクションは好きだが仮想空間ものはどうしても受け付けない、と主張する意見を目にしたことがある。わたしはこれには同意しないが、しごくまっとうな意見ではある、とも思う。

 

 そう主張する理由は明快だった。物理法則によって制限されている現実世界とは異なり、仮想空間で起こりうることに制限を与える規則はなにひとつない。すなわち、仮想空間では、その管理者のさじ加減次第で、ありとあらゆることが許されてしまう。

 

 そして、現実世界の法則がしばしば作者に不自由を強いるものである以上、この場合における「管理者」とは、「作者」とほとんど同一の意味を持つ。つまり作者の機嫌しだいで、あらゆる展開のご都合主義が肯定されてしまう。作者が望むあらゆることを唐突に差し挟んでなお平気でいられるというのには耐えられない。このあとどうなるんだろう、というハラハラした展開の妙を、仮想空間という設定はすべてぶち壊しにしてしまう、とそのひとは主張していた気がする。

 

 繰り返すが、わたしはこの主張には同意しない。舞台が仮想空間であろうが問題なく楽しめるからだ。この主張に反論しようと思えば理屈はいくらでも思いつくし、そのいくつかは論理的で、いくつかはかなりわたしの本心に近い。だがだれも見ていないこんな場所でいちいちそんな理屈を並べ立て、どこのだれなのかもわからない相手に対して反駁を試みたところでかえって自分が惨めになるだけだから、その点については深くは立ち入らないことにする。

 

 代わりに。そのひとに同意できる点があるとすれば、おそらく作者は仮想空間ものを書くに際し、「なんでもできる」ということと向き合わなければならない、ということだろう。ちょうど、タイムマシンを登場させたければタイム・パラドックスとは付き合っていかなければならない、というのと同じように。仮想空間にありとあらゆることを許さないためには、どのような仕組みがあればいいか。あるいはあらゆることを許したうえで、どうすれば物語を成立させられるのか。

 

 そうやって考えていくと、仮想空間でできることに制約を与えるのは案外、それほど難しくはないだろう、ということが分かってくる。

 

 仮想空間に物理はない。だが物理のまがい物はあるかもしれない。それがたとえば、わたしたちがよく親しんでいる、高速に移動する物体がものをすり抜けたり異常な回転をはじめたりする物理エンジンだったとして、それが仮想世界を定義する物理であることに変わりはない。

 

 そしてその物理をベースに世界ができているなら、その規則を書き換えるのは、上位世界のわたしたちにとっても簡単ではない。そして簡単ではないことを不可能とみなすというのは、「なんでもできる」とのかかわりかたとして、結構いい塩梅ではある。