サイボーグ

 いわく、その身体は無限の寿命を持つという。

 

 肉体という不完全な形態を排除した、先進的で合理的な造形美。劣化とは無縁の完全体。数々の機構が相互作用するという点だけ取ってみればそれらはまだ肉と変わりないと言えるかもしれないが、その真髄は相互作用そのものの中にあるわけではない。真に重要な価値は、その身体のすべてが、計算し尽くされたゆえの結果だという事実にある。

 

 言うなれば、その身体は偶然性を排除している。進化という非効率なプロセスでなんとなく形成されたかりそめの解とは一線を画した、工学と論理の叡智の結晶。必然性が全体を、各部を、そして関節部を支配し、すべてのデザインには明快な理屈がある。信号処理のパターンは解析されるのではなく、科学によって設計される。

 

 サイボーグ。そしてわたしは、着実にそれに近づいている。

 

 昨日のことだ。究極なるサイボーグ化計画の一環として、身体に金属を埋め込んだ。わたしの身体に占める金属部品の構成割合は、まだ完璧なサイボーグ化には程遠いものの、確実に上昇した。

 

 それだけでサイボーグになれるのかと言われれば、もちろん違うと答えざるを得ない。この先に無限の命、テロメアの縮まない肉体が存在するのかと聞かれれば、分からないと答えるしかない。だが、千里の道は一歩から。不朽の肢体を獲得したいなら、小さいところから始めていくしかない。

 

 サイボーグへ到達したと言えるまでにはどれほどの時間がかかるのか。それもまた分からない。すくなくとも、今のペースでは間に合わないだろう。五年でせいぜい十グラム。このままでは究極へと至るはるか前に、このかりそめの肉体が朽ち果て、新たな金属を受け入れられなくなってしまう。

 

 だが世界は進歩する。そしてその伸びはエクスポネンシャル、指数関数だ。無限という一点を除き、指数関数に不可能はない。問題、十グラムの金属を毎年倍々にしていけば、何年でこの体重を超えるか。計算せよ、そして答えよ。

 

 文字通りの鋼の肉体。いや、白銀の肉体。そこに至る道は、必ず存在する。電気を通し、熱を通し、だが化学的腐食にはめっぽう強い、光り輝く身体。かりに噛まれ、傷ついたとして、新品に交換可能な身体。

 

 そろそろ、種明かしとしようか。

 

 昨日、歯医者に行った。何か月か前に痛かった歯の治療がようやく終わり、最終処置の日だった。前回取った型に合わせて作られたかぶせものを奥歯に装着して、そのまま無事に帰ってきた。

 

 そう。サイボーグとは銀歯のことである。