仮想世界 ①

 サイエンス・フィクションの領域は広いとはいえ、たいていの場所では物理法則が成り立つ。考えてみれば当たり前で、物理法則をわざわざ破壊するには、そうするだけの理由と説明が必要だからだ。そしてそうするだけの理由とは、おそらく二つ。物理法則そのものがテーマになるか、あるいは超光速移動とかをさせたい都合で、物理法則が邪魔になる場合である。

 

 というわけで読者は、とくに言明がない限り作中世界では現実の物理法則が働いていると考えて差し支えない。働いていないのならば作者はそう明記するか、あるいは明らかに、物理そのものがテーマとなりそうな雰囲気が醸し出されている。逆に、そういう雰囲気がないのにいきなり物理法則が壊されるなら、読者には、そんなことは聞いていない、ずるいじゃないか、と文句を言う権利がある。そう言える程度には、物理法則とは守られるべきものである。

 

 さて。しかしながらサイエンス・フィクションにはひとつ、そう明言することなしに物理法則を壊してもよい分野が存在する。そのジャンルの物語を読み始めた時点で読者は身の回りのあらゆる法則を疑い、いつなんどき物理がねじ曲がったとして、それをありのままに受け入れられることを要求される。その分野とは、仮想世界ものである。

 

 上位世界によってシミュレートされた仮想世界。現実世界の情報化によってがぜん現実味を帯びてきたその手の世界では、物理とは所与のものではなく、シミュレートされたものである。上位世界が気まぐれを起こしてプログラムを書き換えれば物理など簡単に捻じ曲げられる。そこの住人を消したり複製したりかけ合わせたりすることももちろん可能。その気になれば世界を丸ごと消滅させたり、コピーしたりすることもできる。

 

 だからそこの住人にはつねに、自分たちの世界がなんの前触れもなく消滅するかもしれない、という事実が、現実の脅威として立ちはだかってくる。もっとも、そのリスクをかれらが実際にどう考えているのか、そもそもそこの住人が自分たちの住む世界を仮想的なものだと理解しているのか、というのは、世界によってまちまちであり、それをどう設定するのかが、作品の出来に関わってくるのだろうが。

 

 だがとにかく読者にとって、話はより単純である。読者は単に、仮想世界という単語を見た瞬間に、そこではあらゆることが起こりうるのだということを理解する。物理は絶対の規則ではなく、物語中の上位者の都合によって捻じ曲げられるものである、というふうに、認識が変化するわけだ。