文字を見る

 大人になってから気づいたことだが、わたしにはどうやら、文字に引き寄せられる習性があるらしい。

 

 たとえば観光で、どこかの宮殿か教会か、とにかく荘厳な感じの建築を訪れたとき。そのどこかにはたいてい、建物やそれに住んでいた王様の名前だとかが、文字を用いて彫り込まれている。そうするとわたしの目は建物の威容より先に、まずその固有名詞へと惹きつけられる。

 

 そうやって注意を持っていかれるのが、彫り込まれているようなものならまだいい。たとえそれが大切な情報ではなく、あるいは読めない言語で書かれていたとしても、一応わたしは目当ての建築物の一部を見ているのだ。だが問題は、観光地というものはすべからく、重要度の低いさまざまな文字の展覧会だということだ。入口出口の案内、オーディオガイドの番号、トイレまでの距離、観光のために人生で初めて訪れたその場所に一ヶ月後に戻ってきたならば参加できるらしい、種々のイベントのポスター。

 

 博物館に行っては展示品より先に横の説明板を読み、美術館では文字盤や時計や地図の展示にばかり時間を使う。庭の木がどんなだったかは覚えていないのに、消火器の表示はしっかりと見ている。それで得をする場面も一応はあって、たとえば割引の案内は見逃さない。あとはまあ、言語を知るとまあ、文字を眺めているだけでそれなりに楽しい。

 

 文字でないものをどう覚えればいいのか、わたしにはあまりよく分からない。景色を目に焼き付けろと言われても限界がある。景色を覚えておく一番の方法はそれをことばにすることであり、絵画をよく知るには、そのどこになにがあったかをリストアップするのがよいような気がするが、これが言語の力なのか、それとも単にわたしの画像認識能力の低さによるものなのかは、あまり判然としない。そしてなにより純粋に情報量的な問題で、見たものはなかなか簡単にはきれいに文字に要約されてくれないから、大変である。