旅先の記録、ブダペスト

どうやらわたしは、映像を映像のまま記憶しておくということが苦手なようである。だから今日旅先で見たものを、今回は文章に落とし込んで記憶しておくことにしよう。

 

八角形の交差点を曲がると、世界遺産にも登録されている有名な通りが迎えてくれる。まっすぐに一キロメートルほど続くその通りのど真ん中を貫く遊歩道は、それ自体は貧相で、さして綺麗でも特別でもない。だがそこを歩けば、左右にぴったりと立ち並ぶ美しい建物が視界を流れ、明るい高揚が全身を支配するのが分かる。

 

建物はみな四角く、淡い黄色や桃色や灰色のパステル調の壁面が、道路から見える全体を覆っている。隣同士のあいだは狭く、壁の色の違いを除いて、すべてがほとんどひと続きのようにも見える。単調にすら見えてもおかしくないその景色が、整えられていながらも決して飽きさせないものであるのは、きまった法則のない壁の色のせいか、あるいは出窓に調和した素朴な飾りのなせる業か。四階建てくらいだろうか、高さの揃った屋根屋根は水平な直線を形作り、壁の淡い暖色と抜けるような青空とのあいだをくっきりと真一文字に区切っている。

 

この季節、遊歩道の左右の街路樹にはまだ葉はない。幹と枝だけのその姿は、かりにほかの場所にあったのならばむしろ貧相にも映っただろう。けれど広い道幅と左右の明るい壁、それに横からまぶしく照り付ける日光のなかにあって、木々には想像上の若葉が芽吹いている。それらのすべてが緑色に染まったときの輝くような色彩の豊かさは、この初春のいまからでも、ありありと思い起こすことができる。

 

その突き当りに、天使像が立っている。天高くそびえる大理石の台座に乗せられ、八頭ほどの馬の像に足元を守られながら、左手に十字架を右手に水瓶を、青空へ向かって高く掲げている。半円形に並ぶ十数体の英雄像の奥に見えるのは公園の緑、緑青を帯び威々たる姿でそびえる彼らがきっと守りたかったであろう、市民ののんびりとした憩いの場だ。

 

いくつかの点を除いて、そこは普通の公園だった。芝地に木々がまばらに立ち並び、土で固められた道路がそのあいだをゆく。水のない堀にかかる橋を渡り、しばらく進むと左手にあらわれるのが、くすんだ黄色の巨大な建造物だ。高さはそれほどでもないけれど横幅が大きく、ざっと百メートルはあるだろうか。中央に丸い塔のある左右対称な建物は一見して宮殿のように見えるけれどその実、内部を占めるのはなんと、巨大な温泉施設なのである。