ご都合主義のヒロイン

 良い物語にはしばしば、良いヒロインがいる。

 

 彼女たちの性格に共通点は少ない。それは元気いっぱいの笑顔の天使であることもあるし、ミステリアスな憂いをたたえる妙齢の乙女であることもある。他人と口を利くのが極端に苦手でいつも物陰に隠れて気配を消している幽霊のような少女だってまたヒロインたりうるし、単車を乗り回す金髪で力自慢のヤンキーでも構わないし、すべてを人任せにして家で寝ている、自堕落の極みの女子大生でもいい。とにかくどんな人物でも、それが物語に有機的に絡んでくるのならきっと、ヒロインの位置に据えることができる。

 

 とはいえ彼女らに共通の傾向がないわけではない。まず第一に、彼女らのほとんどは美人である。だれもが認める絶世の美女だということにしてしまうと設定上困ることがありうるから必ずしもそうとは限らないけれど、その場合だって普通に整った顔をしているとか、化粧をする気さえ起こせば綺麗だとか、客観的に見て綺麗とは言えないが特定の動作をする姿が妙に色っぽいだとか、そういうことになっている。

 

 加えて彼女らは、主人公になんらかの興味を持っている。その正体はかならずしも恋愛感情とは限らず、友情や憧れやライバル心や、あるいは嫌悪や殺意や憐れみかもしれないが、すくなくとも、無関心ではない。主人公が隣にいるのなら、それがどういうものかはさておき、彼女らはなんらかの外面的あるいは内面的な反応を見せる。

 

 もちろんこれらには理由がある。前者は簡単で、ヒロインを魅力的にできるならば、そうしたほうがいいからだ。ここで言う魅力とは主人公にとっての魅力というより、読者にとってのものである。話の筋が一緒なら読者を引き込むポイントは多ければ多いほどよく、そしてキャラクターの魅力とは、話を変えずに調整することのできる、もっとも大きなつまみなのだ。

 

 後者は物語上の都合である。それもそのはず、最後まで主人公に興味を見せないということは、彼女自身が主人公である場合を除き、物語にかかわってこられないということに等しい。現実の人間がいかにヒロイン的人格の興味の対象になりえないと言えども、興味を持たれないことには話が進まないのだから、仕方がない。

 

 かくしてヒロインとはしばしば、ご都合主義的とのそしりを避けられない。物語の鍵を握る、都合よくも主人公に興味を持っている女性は、さらに都合がいいことに偶然にも、魅力的な容姿の持ち主。彼女らがいかに現実の存在ではないとはいえそれでも彼女らは非現実的である。だからそういう作品を書くことも好んで読むことも、そうすることが物語上必然の態度であるにもかかわらずなお、現実から逃げていると捉えられうる証拠になる。