虚無の想像力

 博士論文の執筆を目の前に、手が止まっている。べつに大変な作業ではないのだが、面倒くさいのだ。それもそのはず、博士論文の執筆とはすでに書いた論文を編集してまとめるだけの作業だから、学術的にあたらしいことはなにひとつしないし、数学だって扱わない。雑な言いかたをすればそれは、論文執筆という作業のつまらない部分だけを抜き出して、集めてできる残りかすである。

 

 もっともそんなことは、前々から分かっていたことだ。つまらないと覚悟はしていたから、いまさら腹を立てることもない。言うまでもなくやる気は出ないが、モチベーションなど上がるわけがないということを加味して、じゅうぶん早い時期から始めている。文句を言いつつまったり進めれば、時間は無駄にかかるけれど、締切にはとりあえず余裕で間に合うだろう。

 

 それでもなお、想像以上に手が止まっていることに、わたしはすこし戸惑っている。

 

 手が止まっているのは面倒だからではない。なにをするべきかは十分わかっているのに身体がそれを拒否しているというような、そんな先の見える状態ではないのだ。どちらかといえば困っているのはそれ以前の全体構成の部分であり、どこになにを書けばいいのか、あまりよく分からない。複数の論文のイントロから使えそうな部分を切り取ってきても、それをどの場所に貼り付ければいいのか、さっぱりである。

 

 となるとこれは意外と単純作業ではない。あらかじめテンプレートができていてあとはそこに文章を入れるだけ、というのであればただ機械のように粛々と進めればよいわけだが、論文全体をどうするのかを決めねばならぬとあれば、そこにはある種の創造性のようなものが要求される。それはまるで、博士論文ではない普通の論文のイントロダクションを書くのと似たような作業である。そして個々の論文の構成がいちいちアドホックに決められている以上、今回もわたしはなにか、アドホックな作業をしなければならないわけだ。

 

 そんなことに創造性を要求されるのは腹が立つ。博士課程で過ごす三年のあいだ、博士論文を書くということについてわたしは何度か重苦しい空想を重ねてきたわけだけれど、いざエディタを目の前にして初めて見えてくる問題は確実に存在する。これまで見えていなかった問題だから当然覚悟は決まっていないし、決まっていないから腹が立つ。そうなる原因はひとえにわたしの想像力の欠如にあるのだから、余計に腹が立つ。