無感動

 書くことがないから、博士論文の執筆について書いている。こんなものを書いている暇があるなら博士論文を書けと言われれば、返すことばはない。すくなくとも博士論文はこの日記と違ってわたしの人生を進めてくれるし、なによりまず、書くべきことは決まっている。

 

 テーマに困ってさえいなければ、博士論文なんて題材では書かなかっただろう。正確に言えば、書くという判断をわたしが許さなかっただろう。というのも、なにかについて書くということはわたしがなんらかの意味でそこに書くべきことを見出しているという意味であり、そして博士論文という作業にはいかなる意味でも、考えるべきなにかが存在してはならないからだ。

 

 博士論文とは虚無だとわたしは考えている。三年間の集大成だとか一人前になるための試練だとかそういうくだらないことを言うひとはいるけれど、そんなのはすべて欺瞞だと思っている。それは論文の形を取っているが論文ではなく、むしろわたしたちの多くが文句を言うつまらない書類仕事の延長であり、それが卒業に必要であるから仕方なく書いている文章である。旅費の申請から得られるものが立て替えたホテル代と交通費以外には存在しないように、博士論文の執筆から得られるものはただ、学位というトロフィーだけである。それ以外に有意義なものはなにひとつ存在しないし、するべきではないし、「レターパックで現金送れ」がすべて詐欺であるのと同じ要領で、執筆を有意義に思えたならそれらはすべて欺瞞である。したがってことさらに日記に書くべきこともまた、けっして存在してはならない。

 

 そういう理想論はまことにけっこうだが、理想はあくまで理想にすぎない。博士論文の価値をゼロだとわたしは断言しつづけたいし、その執筆作業になんの影響を受けない自分でいつづけたいと思うけれど、現実はそれほど単純にはできていない。ほとんどどんなことであっても、それが慣れない行動であれば、ひとはいやおうなく自分の行為に影響を受けてしまう。博士論文の執筆がわたしにとって初めての経験である以上、わたしは執筆作業からなにかを感じてしまうことをまぬかれない。

 

 執筆作業を通じて感じるものが良いものかどうかは分からない。すくなくとも巨大な面倒を感じるというのはたしかで、それは良いものではないから、感じるのは良いものだけではなさそうだ。とはいえそういう悪い感情についてはじゅうぶんに予期していたから、それはそれで構わない。本当に恐ろしいのはその逆、わたしがこの虚無の作業からなにか良いものを、つまり欺瞞を、発見してしまうことにある。