歯痛 ②

 昨夜も突然痛くなった。昨日一日の活動を終えて布団に入り、あまり疲れていないからすぐには寝付くことができなかったわたしは、寝る前にやっていたゲームの延長戦を脳内でプレイしていた。その日のゲーム内での行動にあった問題点を洗い出し、それを改善するすべを考える。改善にあたってのボトルネックがどこかを判断し、その場所を修正する方法をいくつか考えてそのほとんどを棄却し、のこったもののうちのひとつに必要なものについての知識が足りていないことを把握したあたりで、何の前触れもなく、強烈な痛みが襲ってきた。

 

 たちまちゲームはわたしの脳から消え、冷や汗がそれにとってかわった。右頬の中、歯とも顎関節とも言い難い部分が激しく痛み、わたしは患部をおさえて転げまわる。タオルケットを蹴り上げ、右半身を下にして身体を丸める。歯を食いしばっていたのかどうかはまったく覚えていない――痛みに耐えるときひとはそうするけれど、痛いのが歯ならいったいどうするのか? 唯一たしかなのは、痛みとそれが引くのを願う気持ちが脳のすべてを支配しているときには、そのようなメタな認知はけっしてはたらかないということだけだ。

 

 とはいえわたしは落ち着いていた。この痛みには経験があり、それはつい昨日のことなのだ。痛いのはもちろん痛いし、慣れたからといって痛みが和らぐわけではないが、それでも慣れとは偉大なものなようで、わたしは自分が次に取るべき行動について考えることができていた。

 

 激痛の中での思考。痛みが激しければ、痛みを止めればよい。

 

 わたしは痛くない両足で立ち上がり、部屋の電気のスイッチを押す。つぎに痛くない腰をかがめ、痛くない両腕でかばんを漁り、常備薬のポーチを取り出す。痛くない指でチャックを開け、痛くない両目で中を覗き込み、目的のものを見つける。シートを押して痛み止めの錠剤を手に取りだすと、それを口に入れ――患部にもっとも近く、したがってこの状況ではもっとも困難なステップである――最後に、痛くない喉で飲み下した。

 

 痛み止めが効くには少々時間がかかる。それが具体的に何分なのかは測ったことがないけれど、とにかくゼロではない。だから薬が喉を通り、食道の蠕動運動を経て胃に到達したところで、右頬はまだ痛むし、わたしは悶え続ける。けれどわたしには、それ以降の記憶はほとんどない。しばらく続いたはずの同質の苦痛を、わたしは記憶にすら残らないほどの容易さから、あるいはいずれこれが和らぐのだという安心から、いとも簡単に耐え抜くことができた。