筋肉痛が痛い

二年と八ヶ月ぶりに海外に来た。ドイツだ。

 

二年と八ヶ月前はもちろん、ここまで間が空くとは思っていなかった。海外というのはそれまでそんなに珍しいものではなく、やれ大会だとか学会だとか、なんか知らないけどよくいつの間にか行くことになっているものだった。祖国日本を愛しているわけではないがそれなりに気に入っていて、つまりはあまり積極的に外に出たくはないと思っているわたしにとってすら、海外とはそういうものだった。

 

さて。間が空いた理由についてはあえて言うまい。そんな自明なこと、わざわざ言及するだけの価値もない。けれどわたしがいま現に困っている理由が全く同じ原因から派生しているとあらば、やはり語らねばならないだろう。

 

そう。わたしはいま、筋肉痛なのだ。たった十キロ足らずを歩いただけで。

 

それも、ドイツはめちゃくちゃ平坦なのに。

 

そんなくだらないことをわざわざ書くな、と思った方、あなたは正常な感性をお持ちだ。このあともくだらないことはわたしが保証する。だから、さっさとブラウザバックして欲しい。

 

そんなくだらないことをわざわざ書いているのは、これがこれまでに体験した筋肉痛とは一味違うからだ。これまでのわたしなら、主にふくらはぎを痛めていた。けれど今日、わたしは太ももが痛い。

 

太ももが痛いとどうやら、ひとは座れなくなるらしい。というのも太ももとは、椅子に直に触れる部分だからだ。太ももそれじたいの重みに押しつぶされて、患部は常に圧迫され続ける。同じ圧迫でもマッサージなら気持ちいいが、残念ながら今回は押しっぱなしだ。

 

ふくらはぎの場合、こうはならない。椅子が高すぎる場合には患部は足の重みに常に引っ張られ続けるわけだけれども、膝から下の重量なんてたかが知れている。太ももの重厚な重みとは比較にならない。例のウイルスが教えてくれた、新しいひとつの知見だ。

 

歩き始めるときもまた地獄だ。これがふくらはぎなら、痛いと思いながらも足は進む。ふくらはぎの痛みは、あくまで結果だからだ。歩くために足を動かすという原因によって引き起こされる副次効果。足をついたときの衝撃を介して初めて感じ取れる、間接的な痛み。

 

けれど太ももの痛みは、結果ではなく原因になりうる。太ももが痛いと、そもそも足が動かないのだ。大きくは上がらないし、そもそも変な角度にしか上がらない。変な角度にしか上がらない足では、もうどうにも歩きようがない。

 

……とまあ色々グチグチと述べてきたけれど、こんなことになったのはわたしの運動不足のせいだ。外出自粛を盾にして家に引きこもることを正当化したツケを、いま払わされているわけだ。そしてわたしは、太ももが痛いと大変だという知見を得た。転んでもただでは起きないしぶとい人間だ。

 

あるいはまあ、太ももが痛くて、転んだが最後起き上がれないだけかもしれない。