同窓会 ①

 今年も全員そろわなかったか、と、心底残念そうに委員長は肩を落とした。同窓会はもう二十回もやってるんだから、一度くらい全員の都合がつく年があってもいいはずなのに、結局まだ、そんな機会は訪れていなかった。

 

 委員長――高校生のころは文化祭実行委員長であり、だれもがいまでも当たり前のようにそう呼んでいる――は現在二つの企業を経営しており、私生活というものがかれにあると仮定すればの話だが、それは多忙を極めている。そのためかれはここ数年にわたって、比較的些末事であるはずのこの同窓会の幹事をほかに譲りたいと愚痴をこぼし続けている。しかしかれは卒業してもやはり委員長であり、なにしろとうの本人が愚痴を言うのと同じ口で、全員が一堂に会するまでおれは幹事であり続けたいと強く主張しつづけているから、状況は毎年、なにも変わらない。

 

 もっとも、委員長の言動がまるきり矛盾していると言い切るのも正しくはない。実際、めっきり来なくなってしまった同級生はだれもいないから、もしちゃんと都合が付けば、全員が集まれる回は来年にでもありそうなのだ。今年は残念なことに、有名バンドのボーカルをやっているやつ(おれたちの出世頭だ)がひとり、海外ツアーのせいで来られないことが三か月前から確定していたが、不参加連絡をよこしたのはそいつだけだった。去年は白血病を発症したやつがひとりと、マグロ漁船の密着取材で海に出ていた記者がひとりいた。五年ほど前は、シンガポールの地下鉄を作ると言って来ないやつがいた。これまでで一番惜しかったのは三年前で、事前の調査では全員が来ることになっていたのだが、ちょうど二日前に母親を亡くしたやつが葬式に行ってしまった。

 

 高校生のころにそうしていたように、おれは露骨に悔しがる委員長のもとを気まずさからそっと離れて、今回のビュッフェのご飯はどんなだろうか、などと無用な確認をして時間をつぶす。そして会を前に続々と集まってくる同級生たちのもとへ行って、高校生のころにそうしていたように話しかけ、冗談を言い合い、ときおり頭をはたき合って笑う。懐かしい関係性が戻ってきて、まるでこうやって過ごした他愛のない日常がついこの間のことであるような、そんな感傷に包まれる。そしてふと、「ついこの間」というのは二十年前の日常を指すのか、それとも一年前のこの会を指すのだろうか、とくだらない疑問をめぐらせる。

 

 とにかくすべてはあのときのように進行し、まるで学校の朝のように、生徒たちはひとりまたひとりと集まってくる。目に映るその映像に対応するのが何年前の記憶であろうと、ここは教室であり、おれたちは三年二組である。

 

 K の訃報が届いたのは、そんな他愛もない時間のことであった。