I'm fine thank you

「I'm fine thank you とネイティブは言わない」――日本の英語教育を非難したいひとはときに、こういう言説を唱えているらしい。わたしはその現場を直接見たわけではないのだが、こう主張するひとを非難する文脈で言及されるのをよく見ている。

 

わたしはネイティブではないから、どちらが正しいのかは分からない。分からないから、態度は保留する。非難が非難されているところを見るとわたしたちはつい最後に非難した側の肩を持ってしまいがちだけれど、この件に関してそうはしたくない。分からないことは素直に分からないと言うべきだ。

 

しかしながら。問題はべつにネイティブが言うかどうかではないと思う。なにせネイティブから見れば、わたしたちのほとんどはろくに英語がしゃべれないのだ。ノンネイティブが必ずしもネイティブに倣う必要はない。ハウアーユー? アイムファインセンキュー、アンジュ―? アイムファインセンキュー、トゥー。中学校で一番最初に習うこの一連の会話を、そういえばわたしは使ったことがない。使うのがふさわしそうな場面に遭遇したことも、おそらくないように思う。

 

そしておそらくネイティブから見ても、この会話は不自然だと思うのだ。といってももちろん、この会話が発生することそれじたいが不自然だと主張したいわけではない。先ほども言ったが、わたしにはその真偽は分からない。わたしが不自然だと思うのは例の台詞が、英語の下手くそなわたしたちによって発された場合だ。普段はただ単語を並べるのが精いっぱいなやつらが、"I'm fine thank you, and you?" だって? 文章をひとつしゃべるばかりか相手の調子まで聞き取ってやろうだなんて、ちょっと無謀すぎやしないか?

 

中学英語の最初の例文を、わたしは授業以外で発したことがない。身の丈に合わないことをやっているようで、なんだか気恥ずかしいからだ。教科書の例文は基本、わたしが普段扱っているよりはるかに難しい英語で書かれている。"fine!" とわたしは返せる、なぜならそれは単語に過ぎないからだ。そのレベルでいいなら、普段の会話もこなせるからだ。けれど調子が良いことを主張したうえでそれを聞いてくれたことを感謝し、相手に調子を聞き返し、されにそれらをきれいな一文にまとめ上げて発音するなんてことを、自力でできるわけがない。

 

I'm fine thank you とネイティブは言うかもしれない。そうやってコミュニケーションを円滑にしているのかもしれない。けれどもわたしたちの多くはそのレベルには達していないし、達することもできない。高すぎるレベルの構文を学ぶことを、意味がないとは言わないでおこう。けれども。

 

最初に習うことが、ほとんどのひとが到達できない高みに位置していることはある。そのことだけは、理解しておきたいと思う。