輪講第一回 ①

「時間だね。それじゃあ、はじめようか。

 

卒業輪講、第一回。担当の R だ。本は……ちゃんとみんな、持ってきているようだね。よろしい。これから半年間、週に一回、きみたちと楽しく議論できればと思っている。よろしく。

 

……といっても、きみたちには二年生の時の授業で一度会っているはずだね。だからわたしがどういう人物かは、きっともう分かってくれていると思う。まあ、きみたちが授業に来ていたのなら、の条件付きだけどね。

 

そこの一番後ろのきみ、来てた?

 

……ははっ。なぁんだよ、その苦笑いは。まあ、いいか。あの授業人少ないもんね。じゃあ、始めよう。

 

輪講、というのをやったことがあるひとは?

 

ちらほらいるね。まあ、やったことがないひとも、わたしが指導するから大丈夫だ。

 

この授業では、半年をかけて、わたしたちで一冊の本を読む。内容は最新の研究を反映しているから、普段の授業よりだいぶ専門的だ。だからといって、身構える必要はない。専門的っていうのはべつに、難しいってことじゃない。ただ、新しいっていうだけだ。

 

中身をめくったひとなら分かると思うが、ひとりでこれを全部読む、っていうのは現実的じゃない。だからわたしたちは、手分けして読む。それぞれ担当の箇所を読んできて、この授業で、全員の前で発表してもらう。そうすればひとりぶんの労力で、五人分勉強できる、ってわけだ。

 

今回はまあ……この場で読んで発表するっていうのは無理だから、担当を決めておしまいかな。ただそれだと味気ないから、ちょっとひとつ、話をしてみることにしようか。

 

話のテーマは、学術書とはどういうものか、だ。

 

きみたちにはこの先、研究というものが待っている。

 

研究とは何か……というのは難しい問いだが、まあ、学問なるものを前に進める作業だと思ってくれれば間違いではないだろう。この本には最新ではないけど、近年になってわかったことが書いてある。これより先に行こうと思えば、最新の論文で、この本に書かれている結果の一部がさらに更新されているはずだ。

 

だから厳密なことを言えば、本当の最新を追いたいのなら論文を読むべきだね。だけれど論文というのは、その……うん。全然まとまってないし、しかもたまにものすごい文章を書いてくる著者がいて――この前の論文、本当に誰か読んでるのかなぁ?――とにかくすごく読みにくい。きみたちのような用途なら、すこし最新と離れていても、誰かが体系的にまとめてくれたものを読むのが一番いい。

 

それで、だね。最新でないと言っても、まあ、たかが数年だ。分野によっては数年は大きいけれど、この分野は違う。だからこの本に書いてあることは、最新じゃないんだけど、たいてい最新だ。

 

だから。研究をするためにこの本を読むっていうのも、全然ありだ。きみたちはそういうのを読むところにいる、っていうことを誇りに思ってほしい。

 

さて。じゃあこの本を読めば研究ができるんですか、ってきみたちは思うかもしれない。でも、そんなに簡単じゃない。できたらもちろんいいんだけどね。