冷笑主義者たちの実像

すべてのことにひとは説明を求め、少なくない割合で、自らの手で説明を与える。説明の積み重ねは人生経験と呼ばれ、年を取り、すでに考えたことだけでよりよく世界を説明できるようになるのと反比例して、新たに何かを説明すべき機会は減少してゆく。かくして老いと呼ばれる現象は、ひとをあらたな価値観への必要性から遠ざけ、思考回路を固定化し、長年積み重ねたバイアスはバイアスのまま残り続ける――そして死がすべてを跡形もなく粉砕するまで、人生経験なる遺構は醜くそびえ続ける。

 

……というのが、たとえば老いに関する、わたしの手による説明だ。わたしが即席で考えたこの説明には必然性も科学的正当性もなく、さらには十分な主観的観察にすら基づかず、だがたとえそうだとしてもまったく関係なく、わたしは説明によってまたひとつ老いる。わたしのなかの冷笑主義はわたしの老化を不可避なものとみなすどころか、どうせ老いるならば早い方がいいとすら考える(とわたしは説明する)から、わたしはわたしの偏見のリストに、またひとつ項目を追加するのを躊躇しない。世界を特定の側面から見ることは、世界を見ることと全く異なるとわたしは知っていながら、わたしはあえて冷笑の道を急ぎ、世界を正しく見ないことをありのままに見ようとする。

 

冷笑主義者の特殊性は、冷笑主義じたいへの冷笑を是とすることだろう。世のすべてを説明せんとする欲求と、世のありのままを受け入れる寛容性の共通部分として定義される冷笑主義の道は、志してすぐ、世を誤って説明することへの寛容を知る。なぜならわれわれはすぐに自分が世を正しく説明できていないことに気づき、正しい説明がそもそも無理難題であることに気づき、そして説明できないことが世のありのままの姿なのであれば、冷笑主義の原則はその事実を受け入れるからだ。世のすべてに相対的であったはずの冷笑主義者は、かくして世のすべてに絶対的であることを否定しなくなり、永遠の若者であるべきだったはずのわれわれは結果として、単にイデオロギーを育て続けただけの老人とまったく区別がつかなくなる。

 

もちろんわたしは冷笑主義者だから、わたしの行く末を受け入れる。正確に言えば、受け入れねばならぬことが冷笑主義の規範だとわたしは知っており、だが一切の規範は冷笑主義に似つかわぬという原則もまた知っている。わたしは冷笑主義の原則に反して、冷笑主義の規範に従順であることを選択したと知っている。わたしは冷笑主義そのものの矛盾を知っており、だが冷笑主義は矛盾すらも是認することを知っている。こうやってすべてをメタ的に認知すれば、いずれわたしの脳のスタックがオーバーフローすることもわたしは知っており、冷笑主義の発展を否定するその現実的な制約こそが、冷笑を冷笑するための格好の対象だとわたしは知っている。

 

すなわちわたしは冷笑主義が一切を意味しないと知っており、そして同時に、そうではないと知っているのだ。