矛盾三定理系 第七話 『月刊こどものサイエンス』誌 10 月号・科学史コーナー ①

「科学は、矛盾で建てられた楼閣である」――これは、十九世紀のドイツの物理学者、カール・レーベルが、彼の著書の中にのこしたことばです。科学とはぜんぜんつじつまがあわないものだ、という意味のこのことばは、いまでも世界中の科学者たちにつかわれています。ちなみに楼閣というのは、たとえばとうきょうスカイツリーのような、おおきな建物のことですよ。

 

いまでこそ、科学がつじつまがあわないのはあたりまえですが、当時はとてもショッキングなことでした。じっさい、レーベルは、ある実験の結果をどうとらえるかについて、いろいろな分野の科学者を巻き込んで大論戦を繰り広げたのち、すっかりつかれはてて、このことばを書いたといわれています。

 

その実験とは、その大論戦とは、いったいどんなものだったのでしょうか。今月のこのコーナーでは、レーベルたちの仕事を紹介することにしましょう。レーベルはまめなひとでしたから、当時の記録はしっかりと残っています。

 

ことのはじまりは 1889 年の冬のことでした。ドイツのミュンヘンに暮らすレーベルのもとに、彼の友人の数学者、デニス・ウムラウフがたずねてきました。大学卒業以来はじめて会った彼らは、しばらくは思い出話に花をさかせてすごしました。

 

しかし科学者というのは、研究の話をしたくてたまらないひとたちです。ふたりの会話はしぜんに、ウムラウフが最近つくっている数学の理論の話にうつっていきました。その理論をつくるために、ウムラウフはふたつの方法を思いついていて、そのどちらをつかえばいいか迷っていました。どうやらそのふたつは、それぞれ矛盾する数学の公式にもとづいていて、どちらをつかうかによって、できあがる理論はおおきくちがうものになるそうでした。

 

話をくわしく聞くうちに、レーベルは、ウムラウフの迷っているふたつの公式がどちらも、統計力学という分野の、ある現象と関係があることに気づきました。そして、ある実験装置をつかえば、どちらの現象が起こったのかわかるのです。この現象と実験装置のなかみについては、すこし難しいので省略します。もし興味があれば、それをわすれずに覚えておいて、大学で統計力学を勉強してください。きっと、すてきな感動が味わえると思いますよ。

 

とにかくレーベルは、その事実に気づくやいなや、実験装置をつくりはじめました。レーベルはまず、大学のガラス細工師に頼んで、専用のガラス管をつくってもらうと、大量の断熱材をあつめてそのまわりにしきつめました。そうしてそれに、大学にあるものはつかい、ないものはとりよせて、いろいろな機材をとりつけました。そうして装置が完成すると、あした研究室にくるようにとウムラウフに伝え、装置を冷蔵庫にしまいました。そしてつぎの日、ウムラウフの前で、レーベルは実験をおこないました。

 

レーベルは冷蔵庫から装置を出すと、用意しておいた机の上に置きました。ウムラウフの言うひとつめの公式にしたがえば、ガラス管のなかの空気はわずかにふくらみ、装置の針がわずかに左にふれることになります。はんたいに、ふたつめの公式にしたがえば、空気はわずかにちぢみ、針は右にふれます。そうなるように、レーベルが設計したのです。レーベルと、ウムラウフと、準備を手伝ってくれた三人の学生が見守るなか、針は左にふれました。

 

ウムラウフはレーベルに感謝し、じぶんの大学にもどるとすぐに、その『左公式』をつかって理論をつくりあげました。二か月後、ウムラウフが公開した論文のはじめには、なによりもまず、レーベルへの感謝がつづられていたといいます。めでたし、めでたし……

 

……で終わらないのが、科学の歴史の面白いところであり、また残酷なところでもあるのです。