第十六話

彼女の行動は速かった。「アタシの後ろについて!」彼女は言うと、黒い塊の飛んでくる壁の方にまっすぐに向き直った。従うかどうか考える暇もなく、私は彼女の言うままにした。

 

「右!」彼女が叫び、右に数歩走った。私も遅れて走り、そして一瞬ののち、さっきまで立っていた地面を金属の塊がえぐった。全身の血の気が引いた。一刻も早く、私はこの場所から逃げたかった。

 

再び民家に塊が落ち、屋根瓦の割れる音が聞こえた。そこかしこで人が逃げ惑っていたが、どこへ逃げればいいか誰も分かっていない様子だった。最初に壊れた家にいた女性がパニックを起こし、言葉にならない絶叫を上げながら同じ場所をぐるぐると走り回っていた。

 

あたりは地獄絵図だった。動けなくなった子供を抱えた親が塀のかげに隠れ、そしてその塀を塊が貫いた。下水管が破裂し、側溝から泥水が噴き出した。「左!」ほとんど本能だけで私は従い、前方から走ってきていた男の背中に塊が命中した。男の上半身だけが吹き飛び、肉の塊が私の頬をかすめた。悲鳴を上げて前を見ると、前に立つ彼女の髪は真っ赤に染まっていた。

 

私は早く壁から遠ざかりたかったが、あろうことか、彼女はじりじりと前進していた。「どこへ行くの」私はおそるおそる彼女の肩をつつき、訊ねた。「逃げなきゃ」

 

彼女は質問には答えず、代わりにまっすぐに前を指さした。彼女の髪から血が滴り、地面に赤い染みを増やした。「さっきの見たでしょ。背中を向けちゃダメ。しっかり見てさえいれば、よけられるから」

 

なぜ前に進むのかは分からなかったが、少なくとも、冷静なのは彼女だけだった。私は望遠鏡で見た彼女の姿を思い出した。最初は壁の上を走っていた彼女は、再び望遠鏡を覗くと、その場に立ち止まっていたのだった。

 

私は腑に落ちた――彼女はこれを、一度経験している。

ひとりきりで思いついて。

 

彼女に従う以外に策はなく、私は一緒に進んだ。「右!」無人の露店が潰れ、野菜が転がり出た。「左!」血だまりに足を突っ込んだが、彼女は一向に構わなかった。「右!」「左!」私たちはジグザグに進み、いつしか周りに人はいなくなっていた。

 

壁がだんだんと迫ってきて、望遠鏡で見た足場が見えた。その右に例の穴が見えた。穴の両脇には今も人が並んでいたが、望遠鏡から見た時と違って列は乱れていた。皆疲れている様子だった。目の前で何かが翻り、私は身構えたが、風に吹かれた落ち葉が飛んだだけだった。

 

「どうにかできそう?」彼女の突然の質問に、私はうろたえた。「え?」

 

金属塊がはるか後ろに落ちた。彼女は初めて振り返り、血に濡れた短髪が陽光にきらめいた。「向こうの奴らに、アタシたちに手出しすると痛い目に遭うって思わせなきゃ。そのためには、アンタの技術が希望なの。あんなにすごい機械を作れる人間を、アタシはアンタしか知らないから」

 

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地面にあいた穴が、この場所も安全ではないと物語っていた。訓練施設の寮と思わしき建物があったが、入るわけにはいかなかった――いつ何が飛んでくるかわかったものではない。

 

だから、訓練施設の教官を名乗る男と、私は屋外で話すことになった。「こんな場所ですまないね。せめて椅子くらいは出してあげたかったのだけれど」私が来るまでは穴の見張りをしていたようで、軽快な口調とは裏腹に表情は疲れ果てていた。椅子に座りたいのは彼自身、私はそう感じた。

 

「お気になさらず」私は答え、切り出した。「壁の向こうの人が穴をあけた、来る途中にそう聞きました」

 

「そうだ。穴が空いて人が来て、それを俺たちは……何でもない」教官はきまり悪そうに頭を掻いた。頭上を何かが飛び、私たちは見上げた。「まあ多分、あいつから聞いたよな」

 

私は頷いた。「聞きました。だから、勝たないといけない、って」

 

教官は頭に手をあて、しばらく考えた。そして私に背を向け、すぐ近くの壁を眺めて呟いた。「勝たないといけない、か……」向き直ることもなく、教官は平坦な口調で訊ねた。「どうだ、率直に言って、君の知ってる技術で勝てると思うか」

 

私は正直に答えた。「厳しいと思います。私たちには、壁を越えて物を飛ばす技術はありません。向こうの技術は、私たちより進んでいるのだと思います」私は言ってから、そんな技術は古文書ですら見たことがないと気づいた。

 

「だよな」私の答えを予想していたかのように、教官は言った。「遠路はるばる、すまなかったね。北の方の壁のそばに仮の宿営地があるから、今日はそこで休んでいきなさい。壁のすぐそばならものは飛んでこないし、見張りは立ててあるから安全なはずだ。少なくとも、この辺りでは一番な」

 

教官は穴の見張りに戻りかけたが、振り向いて付け加えた。「何か思いついたらすぐに教えてくれ。俺はもう少し、粘ってみることにするよ」

 

私は教官と別れ、壁沿いを北に歩き始めた。今日一日の疲れがどっと出た――こんなに動いたのは、両親の工場が焼けた日以来だった。それでも私は、教官が去り際に残した独り言を聞き逃さなかった――「これが、栄誉……そうだな、栄誉、なのかもしれないな」